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【話の肖像画】マラソンランナー・君原健二(78)(2)劣等感が生んだ小さな欲

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少年時代(提供写真)
少年時代(提供写真)

 〈「小倉生まれで玄海育ち 口も荒いが気も荒い」はおなじみ「無法松の一生」の冒頭だが、同じ小倉生まれの君原は、歌詞とはほど遠い少年だったらしい〉

 とにかく私は、小学校のころから勉強もスポーツも大変成績が悪い劣等生でして、夢とか希望を持つことができなかったのです。気も弱くて、けんかなんか全然できない、そんな子供でした。

 〈大事にとってある小学校の成績表には先生の評価が付されている。例えば1年、「内気にて意志弱く、積極的に発表することもなし」。5年時は「温良ではあるが絶えずぼんやりとして真剣味がない。積極的に努力する気が少しもみられず、態度に明るさがない」と、後の英雄に容赦ない〉

 いえ、あれは専門の先生の評価ですから今でもさすがに正しかったと思っています。そんな私にも小さな欲がありました。成績が圧倒的に劣っていることが恥ずかしく、その恥を少しでも小さくしたいという、小さな小さな欲です。

 その小さな欲が小さな力となって、少しずつ自分を高めることができたように思えるのです。私のものの考え方、発想の原点は小学生のころにありました。

 本当に劣等生として少しでも力をつけなくてはいけない。努力しなくてはいけない。頑張らなくてはいけない。それが私の競技者としての原点でもあるのかもしれません。

 紙一重の微々たる成果でも何百枚と積み重ねれば一冊の本となります。決して無駄な努力なんてあり得ない。努力は必ず報われる。惜しむことなく努力することが次第にできるようになっていきました。

 〈幼少期に、将来の人生観を変える衝撃的なできごともあった。長崎に落ちた原爆である〉

 4歳の8月9日でした。前日、隣町の八幡が焼夷(しょうい)弾にやられ、その煙が小倉の町にも漂っていました。原爆を積んだ爆撃機が小倉の上空を何度も旋回し、視界不良から投下をあきらめ、長崎に向かったのだといいます。原爆は小倉に落ちていたかもしれない。あのとき死んでいたらと思うと、自分がやっていること、走ることの意味とか無駄といったことが全て関係なく、頑張ることができたように思えるのです。

 〈中学2年、校内マラソンで好成績をあげ、級友から駅伝クラブに誘われた〉

 小学校時代に運動会で一等賞になったことは一度もありません。走ることは得意でなく、興味も関心もなかったんです。でも劣等生の私には断る勇気がなくて、なんの目標もなく、漠然とした気持ちで始めた陸上競技でした。その後、何度もやめようと思ったのですが、その都度、周辺の方々のアドバイスや説得があり、今日まで走り続けてきました。走ることで本当に多くの人に出会い、励まされ、指導を受け、人間として変わることができたのです。人生を変えるきっかけをくれたクラスメートは、私にとって大きな恩人です。(聞き手 別府育郎)

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