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樺太・恵須取の小学校、高齢化で最後の同窓会 札幌

樺太・恵須取第二小の同窓会で、終戦時の様子を話す卒業生の竹田輝雄さん=12日午後、札幌市中央区(寺田理恵撮影)
樺太・恵須取第二小の同窓会で、終戦時の様子を話す卒業生の竹田輝雄さん=12日午後、札幌市中央区(寺田理恵撮影)
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 樺太(サハリン)にあった恵須取(えすとる)第二小学校の同窓会が12日、札幌市中央区で開かれた。かつて在校した11人を含む関係者計21人が出席し、樺太での暮らしや終戦時の苦難を語り合った。

 高齢化で出席者が年々減少。今回を最後に解散するが、原田廣記会長(81)=札幌市南区=は「樺太の歴史は長く伝えていきたい」とあいさつした。

 日露間で国境変更が繰り返された樺太は、日露戦争の講和条約で南部が日本に譲渡された。最盛期に約40万人が南樺太に住み、恵須取(ウグレゴルスク)は製紙業などで発展した。

 だが、先の大戦終結直前、当時のソ連が侵攻。現在はロシアが実効支配し、日本は南樺太を「帰属未定」としている。北方領土のような返還運動は行われておらず、日本人が暮らした歴史の記憶の風化が危惧されている。

 旧制中学2年まで恵須取で暮らした竹田輝雄さん(86)=小樽市=は、終戦時の様子を「日本が負けたと分からず、山を越えて避難した。機銃掃射があると、側溝に身を伏せた」と振り返った。

 同窓会は札幌と東京で隔年開催し、今年で26回目。多いときは約170人が参加した。最年少の香澤秀樹さん(81)=札幌市北区=は「終戦後2年間は大豆やコーリャンを食べ、着の身着のまま引き揚げた。豊かな時代になり、当時の話を聞いてもらうには大変な努力がいる」と、語り継ぐ難しさを吐露した。

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