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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(11)

 正成はこの献策通り、赤坂城落城後に再蜂起し、千早城で幕府の大軍を食い止めて倒幕を成功に導いた。日本大の関幸彦教授は、負けないことへの自尊心の強い「勇将」が主流だったこの時代、大きな目的を達成するために自分の信念で献策し、卑怯といわれようと泥水をすすりながらでもやり抜く正成を「異質の武将」と評する。

 「正成は勇将ではなく『良将』といえる。情報収集地・河内が本拠だったことや、足利氏などのサラブレッドとは異なる自らの出自が、独自の思考と行動力を培ったのではないか」

 笠置山以降、正成は随所で天皇に召され、その度に的確な献策を行っている。「もの言う良将」を生んだ背景には、幼いころからの学びもあろう。

 正成は幼少期に観心寺で学び、さらに河内長野市加賀田に隠棲(いんせい)していた兵法家、大江時親(おおえときちか)のもとに通って兵学を修めた。そこで出会ったのが、大江家秘伝の兵法書『闘戦経(とうせんきょう)』だ。

 『闘戦経』は、時親の祖先で平安時代後期の学者兼歌人、大江匡房(まさふさ)の著とされる日本最初の兵法書だ。同市在住の郷土史家、竹鼻良介氏は「戦い方だけでなく、日本の武の精神を説いています」と話す。

 第1章は「我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一気に天地を両(わが)つ。雛(ひな)の卵を割るがごとし。故に我が道は万物の根元、百家の権輿(けんよ)なり」とある。

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