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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(11)

楠木正成が通ったとされる矢伏観音。正成の強運を今に伝える=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)
楠木正成が通ったとされる矢伏観音。正成の強運を今に伝える=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)
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 ■もの言う良将「尊氏と和睦を」

 「忠臣」「義の人」と評される楠木正成(くすのきまさしげ)のもう一つの特徴は、無位無官の地方武士から後醍醐(ごだいご)天皇の信任を得るまでの立身を可能にした献策能力と肝の太さである。それは天皇との初対面、元弘元(1331)年8月に臨幸先の笠置寺(かさぎでら)(京都府笠置町)での発言に、すでに見られる。『太平記』によると、天皇の夢のお告げで召された正成は席上、鎌倉幕府打倒について問われ、こう答えた。

 「これ(幕府軍)欺(あざむ)くに安(やす)うして、懼(おそ)るるに足らざる処なり。合戦の習ひにて候へば、一旦(いったん)の勝負は、必ずしも御覧ぜらるべからず。正成未だ生きてありと聞こし召し候はば、聖運(せいうん)はつひに開かるべしと思(おぼ)し召し候(そうら)へ」

 幕府軍を恐れることはありません。いっときの勝ち負けで判断されず、正成がまだ生きているとお聞きになったら、帝(みかど)の運勢が開いてきたと思ってください-との返答だ。倒幕に立ち上がったものの、正中の変、元弘の変と幕府の厚い壁に阻まれて側近を失った上、京を追われて失意にあった天皇を励ましたのだ。

 しかも、すべての戦に勝つと豪語せず、目先の勝負にとらわれず大きな目標を勝ち取りましょうと、現実を踏まえた意見を述べた。初対面の天皇相手に、これだけ冷静に献策できる武将は多くはなかろう。

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