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【話の肖像画】チベット難民の医師・西蔵ツワン(67)(11)難民キャンプ支援へ

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インド南部ムンゴットのチベット難民キャンプで、支援する子供たちと=2014年
インド南部ムンゴットのチベット難民キャンプで、支援する子供たちと=2014年

 〈医師になって2年目の1981年、初めてインドに戻り、南部ムンゴットのチベット難民キャンプを訪れた〉

 家族が暮らす東部ダージリンではなくムンゴットを訪れたのは、婚約中の妻、チュドレンの両親にあいさつするためでした。

 妻はチベット人留学生の第3陣として来日し、私と同じ旧毛呂病院(現埼玉医科大)の職員寮で丸木清美先生の支援を受けながら日本語を覚え、看護学校に入学して看護師になりました。義父母から結婚の許しを得て、難民キャンプの診療所を視察したのですが、最新の設備がそろう日本との落差にショックを受けました。私は消化器・肝臓内科が専門ですが、診療所にはCTやエコーといった画像診断の機材が一切なく、聴診器1本で全てを診断しなければいけないような状況で、日本で身につけた最新技術は使いようがなかったのです。

 〈落ち込んで、日本へ帰った〉

 丸木先生のもとではもう1人、後輩のダムデン・ギュルミーが医師を志し、先生は将来的に私と2人でインドに病院を建て、チベットのために尽くしてほしいと考えておられました。しかし、駆け出しの研修医だった私の技量では先生の期待に応えられそうもない。どうしようかと迷いながら相談へうかがうと、ご自身も現地を視察して実情をご存じだった先生は、「日本での勉強が今のインドで役に立たないなら、頑張って一人前の医師になり、日本から援助の仕事をすることもチベットの同胞のためになるんじゃないの」と励ましてくださいました。

 〈そこからは診療、実験、論文に追われる毎日。難民キャンプの支援を考えられるようになったのは、89年に法王ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞し、チベット問題への関心が高まった後だった〉

 92年に大学時代の仲間、椎貝(しいがい)典子医師とつくった「パサニア会」の活動は今でも続いています。パサニアとはラテン語で「椎(しい)の木」の意味で、ムンゴットの難民キャンプに幼稚園を設立する資金として、最初に200万円を寄付してくださった椎貝先生の父で歯科医の賢一先生にちなんでいます。パサニア会は幼稚園完成後に学童保育の施設を増築し、コミュニティーホール(公民館)やバスケットボールグラウンドの整備を続け、2005年には公民館の2階に図書室をつくりました。

 B型肝炎ウイルスの保有者が多いインドの事情を考慮してワクチンの予防接種をしたり、パサニア会と一部のメンバーが重なるNPO法人「アンナプルナ・ヘルス・プロジェクト」の合同事業としてダージリンで健康診断をしたりしたこともあります。また、難民キャンプから女性2人を留学生として招き、准看護師になるのを支援しました。

 人材育成では他にも、日本の医師会をイメージして1997年に設立したチベット人医師の組織で、若手の医師2人を半年間、日本へ招いて超音波や内視鏡の技術を学んでもらい、インドで普及してもらいました。いろいろ取り組んできたつもりですが、まだチベット本土への支援はできていないんですよね。(聞き手 平田雄介)

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