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【話の肖像画】チベット難民の医師・西蔵ツワン(67)(10)

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恩師の丸木清美先生(中央)を囲んで。左手前が西蔵ツワンさん =1966年ごろ
恩師の丸木清美先生(中央)を囲んで。左手前が西蔵ツワンさん =1966年ごろ

■医大へ進学 恩師の支援

 〈1969年に高校に入学した後、医学部を目指したのは自然な流れだった〉

 取材中に将来の目標を聞かれ、何げなく「医者かな」と答えたのがきっかけです。チベットを支配した中国から亡命した私たちを留学生として受け入れてくださった丸木清美先生が医師でしたし、生活していたのも先生が院長を務める旧毛呂病院(現埼玉医科大)の職員寮でしたから、パッと頭に浮かんだのでしょうね。医師になれば将来、チベットの役に立つ仕事ができるとも思いました。そうしたら周りも「この子は医者になるんだ」という認識になり、皆さん応援してくださいました。丸木先生ご自身も、留学生のうち2人くらいは医師となり、チベット難民キャンプに病院を建ててほしいという思いを持っておられました。

 〈医学部受験は今も昔も難関だ〉

 勉強を進める上で、最後まで壁になったのは言葉の問題でした。授業を聞いていても、教科書の文章を読んでいても、理解するのに時間がかかったり、ニュアンスをつかめなかったりするのです。それは頑張っても頑張っても追いつけないと感じるほどで、結局1年間浪人しました。埼玉医科大に入った後も山のようにある専門用語に苦しみ、国家試験の合格も1年遅れました。

 私は決してエリートではないんですよ。

 あきらめずに頑張れたのは、後戻りはできない、医師になるしか道はないと思っていたからです。教育施設の整っていないチベット難民キャンプで働く同世代の人たちを思うと、日本に留学して勉強できる自分は幸運で、逃げ出すわけにいかなかった。

 この頃になると中国の洗脳教育の影響も完全に解けて、チベット人としての自己認識が強くなっており、西洋医学を学び日本で最新の医療技術を身につけて、故郷に貢献するのだと固く決意していました。

 〈医学部を目指して浪人中の72年、日本は中国と国交を正常化した〉

 私たち留学生は日本滞在を継続するため定期的に入国管理局で査証(ビザ)を更新していたのですが、ある日突然、更新できなくなりました。国交正常化の影響だったと思っています。「これで留学は打ち切りか」と落ち込んだとき、丸木先生は私たち5人の後に受け入れた後輩も含め、チベット人留学生21人全員を養子にすることを決意され、「それならビザを出せるでしょう」と安倍晋三首相の祖父である岸信介元首相のところへ陳情に行かれました。しばらくして、日本に残れることが決まりました。

 丸木先生は、私が自立するまで、生活費や学費の全てを支援してくださいました。私立医大の学費が数千万円もする高額なものだと私が知ったのは、約20年後に長男が医学部に入ったときです。先生はずっと、私に負い目を感じさせないようにと配慮してくださっていたのです。だいぶ後になって、ご子息の学費を工面するのに苦労されたと伝え聞きました。立派な篤志家が日本にいたことを広く伝えたいと思います。(聞き手 平田雄介)

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