PR

ライフ ライフ

【3つの「謎」~百舌鳥・古市古墳群】(中)「倭の五王」は誰なのか

 これに応えて、日本は百済に軍事支援、つまり兵を送った。この事実は、中国東北部・集安(しゅうあん)市に残る高句麗の広開土王(こうかいどおう=好太王、在位391~412年)碑の碑文でうかがうことができる。

 高句麗は精強な騎馬軍団で知られ、馬を持たなかった日本は大敗したようだ。以後、馬の導入に力を注いだことが5世紀以降、古墳から馬具の出土が急増することで裏付けられる。

 では、「倭の五王」とはいったいだれか。古くから、天皇系譜と見比べて推定する議論が行われてきた。最後の武が雄略(ゆうりゃく)天皇を指すことに異論はなく、興は安康(あんこう)天皇、済が允恭(いんぎょう)天皇であることもほぼ確実視されている。問題は讃と珍だが、讃は仁徳か履中、珍は反正(はんぜい)とする説が強い。

 百舌鳥・古市古墳群(大阪府)の巨大古墳は、まさに五王やその親族、重臣らの墓と考えられる。ただし、宮内庁が治定(じじょう=指定)する天皇陵は幕末から明治になって決められたもので、確実な根拠があるわけではない。

 仁徳天皇陵に眠るのは、本当に仁徳天皇なのか。近年の考古学の進展は、その「答え」に迫りつつある。

(客員論説委員 渡部裕明)

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ