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【話の肖像画】チベット難民の医師・西蔵ツワン(67)(9)メディア取材で知った現実

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1967年秋、初来日したダライ・ラマ14世(後列左から3番目)を囲んで。後列右から2番目が中学生時代の西蔵ツワンさん
1967年秋、初来日したダライ・ラマ14世(後列左から3番目)を囲んで。後列右から2番目が中学生時代の西蔵ツワンさん

 〈中国に支配されたチベットの将来に役立つ人材になる。そんな使命を帯びて1965年12月に来日した西蔵さんたち少年5人の猛勉強が始まった〉

 文字だけで「ひらがな」「片仮名」「漢字」と3種類もあるのですから日本語の勉強は大変です。毎日、小学生の国語の教科書を書き写し、必死に覚えました。一方で数字の1、2、3、4、5は、チベット語のチック、ニー、スン、シ、ガと似ており、興味深いと思いました。最近、日本の元号は令和に代わりましたが、チベット語にも「レワ」という響きの似た言葉があります。レワは「希望」という意味で、親近感がわきますね。

 話がそれましたが、受け入れ先の旧毛呂病院(現埼玉医科大)の職員の方々がつきっきりで日本語を教えてくださったおかげで、66年4月、ペマ・ギャルポとトプゲイ・ブティア、ギュルミ・ワンダーと私の4人は地元の中学1年に、最年少のダムデン・ギュルミーは小学6年にそれぞれ入ることができました。

 〈チベットからの留学生はマスコミにも注目された〉

 入学式には記者さんが大勢取材に来られました。中国支配下のチベットで洗脳教育を受けた私でしたが、取材に応じて亡命から日本に来るまでの経緯を説明するうちに頭の中が整理され、中国共産党や人民解放軍によるチベット民族の弾圧の状況を理解し、問題意識を持つようになりました。テレビ番組の収録にも呼ばれ、黒柳徹子さんにお会いできたのはよい思い出です。地元ではすっかり有名になり、「子供だけで外国に来て頑張っている」と差し入れをいただくなど、町ぐるみで温かく見守っていただきました。

 肝心の学校はどうかというと、まだまだ日本語がおぼつかなく、最初の1年間は授業もほぼ分からなかった。ついていけるようになったのは中2の後半からでしたね。

 〈日本の生活にも慣れてきた67年秋、法王ダライ・ラマ14世が初来日した〉

 ある日、病院長の丸木清美先生が「法王様がみえるぞ、みんな来るかい」とおっしゃって、拝謁しました。すごく緊張しましたが、法王様は「一生懸命に勉強して、将来、チベット人のためになる専門分野を持ちなさい」と優しく声をかけてくださり、それぞれの目標を尋ねられました。私はまだ決めていませんでしたが、この頃から少しずつ将来の職業について考えるようになりました。

 感銘を受けて、インド・ダージリンの難民キャンプにいる家族に手紙を書きましたが、返ってきた手紙には「ソテカンボ」と書かれていました。チベット語で「ばちあたり」というほどの意味です。チベット仏教の最高指導者である法王様は、信者にとっては生き仏で、簡単に会えるような人ではありません。「信じがたい。本当に会ったの? 会えるわけないじゃない」。そんなふうに家族は思ったのでしょうね。

 中3になると漢字も分かるようになり、高校入試は日本人の生徒と同じ試験を受けました。(聞き手 平田雄介)

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