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【中西進さんと行く 万葉集最果ての歌】長崎・対馬 哀切にじむ国境の海

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夕暮れの浅茅湾。遣唐使らはここを経由して大陸を目指した=長崎県対馬市
夕暮れの浅茅湾。遣唐使らはここを経由して大陸を目指した=長崎県対馬市
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 国境の島、対馬。平城京の都(現在の奈良市)から遠く離れた地でありながら、万葉集には多数の歌が詠まれているという。6月の晴れ間、万葉研究の第一人者、中西進さん(89)と、歌の原風景を求めて島をめぐった。(横山由紀子)

島を包む太古の蒼

 長崎空港からプロペラ機で30分余り。緯度は大阪と変わらないのに、緑深い原生林やエメラルド色の海が広がる。南方の島にいるかのようだ。

 南北に延びた島の中央部を深くえぐる浅茅(あそう)湾は、7~9世紀、遣唐使・遣新羅使船の停泊地だった。「海の色は青じゃなくて蒼という表現がぴったりだね。色合いも太古そのもの」と中西さん。

 《百船(ももふね)の泊(は)つる対馬の浅茅山(あさぢやま)時雨(しぐれ)の雨にもみたひにけり》 巻15-3697

 (多くの船が泊まる港の対馬の浅茅山は、時雨の雨に美しく色づいてきたことよ)

 「対馬」という名前の由来は諸説あるが、「ツシマは“津の島”、つまり湊の島という意味ですね。それに『対馬』の文字があてられたのは、古代朝鮮の国家、馬韓(ばかん)に相対する島、ということかもしれません」と中西さんは思いを馳せる。

遊女が見送る船出

古代の山城・金田城跡に残る石塁(石の砦)。防人が配置されていた
古代の山城・金田城跡に残る石塁(石の砦)。防人が配置されていた
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 対馬を南北に貫く国道382号を車で走っていると、中西さんは標示板に「玉調(たまづけ)」という地名を見つけて、「止めて、止めて」と声をあげた。中西さんによると、玉調の「調」は古代の租税の租庸調の調だという。対馬では真珠の養殖が盛んだが、古代も真珠が採れ、それを特産品として納めたために、玉調という地名ができたのだろうと。

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