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【話の肖像画】チベット難民の医師・西蔵ツワン(67)(7)突然の留学 仏教国に安心

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英国式学校「マウント・ハーマン校」のクラスメートたちと。2列目左から4番目がツワンさん
英国式学校「マウント・ハーマン校」のクラスメートたちと。2列目左から4番目がツワンさん

 〈13歳までの約3年間を過ごしたインド・ダージリンにある英国式ボーディングスクール(全寮制学校)のマウント・ハーマン校は国際色豊かだった〉

 同級生には、イギリス人やオーストラリア人、ニュージーランド人のほか、インドやタイの富裕層、ネパールの王族、ブータンやチベットの貴族の子弟がいました。お金持ちばかりで、秋の長期休暇が始まると、彼らには車で迎えが来ます。なかには飛行機に乗って一時帰国する人もいました。そんな彼らを横目に見ながら、私は家族が暮らすダージリンのチベット難民キャンプへ歩いて帰っていくわけです。この格差はなんだろうと悲しくなりました。

 そうした疑問を含めて、ハーマン校での生活は刺激的で視野が一気に広がる感じがありました。変な話ですが、中国がチベットを占領していなかったら、私の人生はもっと閉じたものになっていただろうと思うのです。法王(ダライ・ラマ14世)様も「玉座(ぎょくざ)に座ったまま、世界を知らずに年を取っていたかもしれない。亡命して世界と交流したことは良かったかもしれない」とおっしゃられたことがあります。

 苦労しましたが、ハーマン校では英語もうまくなりました。先生方がチベット難民キャンプ出身の生徒のために特別クラスを編成してくださったからです。ずっと受講していたおかげで、日本で医師になった後に国際学会で発表したとき、英語圏の先生に、「日本人離れした発音だね」と褒めていただきました。「実はチベット人でして」と自己紹介して親しくなれるのも、亡命したからですね。

 〈ハーマン校では毎週土曜日に映画ニュースが上映され、世界の動静を知ることができた。在学中、1963年にケネディ米大統領暗殺事件、64年にインドのネール首相死去、65年にソ連のアレクセイ・レオーノフ中佐による人類初の宇宙遊泳などがあった〉

 64年の秋には東京五輪の映画ニュースも見ましたね。その日本への留学が決まったのが1年後の65年秋、長期休暇の帰省中でした。ハーマン校への入学が決まったときと同じように、突然、難民キャンプを運営していた法王様の兄の妻、ミセス・ドンドゥップに告げられて驚いたのですが、「あなた方はアジアで一番の先進国に行くのだから幸運です。一生懸命、勉強しなければいけませんよ」と励ましていただきました。教育熱心だった父がとても喜んでくれていたのはうれしかったです。

 これから留学する日本とは一体どんな国なのだろうと、ハーマン校の図書室で日本のことを紹介している本を探しました。ちょんまげを結っている侍がいるとか、人力車が街中を走っているとか、だいぶ古い情報もありましたが、チベットと同じ仏教国だと知って安心しましたね。ハーマン校は日曜礼拝のあるキリスト教の学校でしたから、やはり緊張して過ごしていたのかもしれません。(聞き手 平田雄介)

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