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【話の肖像画】チベット難民の医師・西蔵ツワン(67)(6)

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英国式学校「マウント・ハーマン校」の制服姿で。右から2番目がツワンさん =1964年
英国式学校「マウント・ハーマン校」の制服姿で。右から2番目がツワンさん =1964年

■生涯の友と英国式学校へ

 〈チベットを支配した中国から亡命した1962年、ネパールを経由してたどり着いたインド・ダージリンにあるチベット難民キャンプで、生涯の友と出会う〉

 初めて会ったときは、将来、日本留学をともにして、家族より長い時間を過ごすことになるなんて思いませんでしたよね。

 最年少のダムデン・ギュルミーは私と同じ埼玉医科大を卒業して医師となり、今は埼玉県嵐山町で開業医をしています。ギュルミ・ワンダーは日本体育大で柔道を修めた後、法王(ダライ・ラマ14世)様のボディーガードになり、世界中を駆け回りました。大学卒業後にインドへ戻ったトプゲイ・ブティアは日本大使館の現地職員として日印交流に貢献しました。リーダー格のペマ・ギャルポは政治学者になり、拓殖大国際日本文化研究所教授として、チベット問題の解決を訴える活動を続けています。

 〈5人の少年は成績が優秀だった。日本に留学する65年までの3年間、ダージリンにある英国式のボーディングスクール(全寮制学校)に預けられた〉

 ある日突然、5人そろって難民キャンプを運営していた法王様の兄の妻、ミセス・ドンドゥップに呼び出され、全寮制のマウント・ハーマン校に入るよう告げられました。チベットの将来を担う若者を育てるため、亡命政府は当時から教育に力を入れていましたが、なぜ私たちが選んでもらえたのか、どなたが授業料や寄宿費を負担してくださったのか、今でも分かっていません。

 行ってみると、ハーマン校は映画化されて世界的に大ヒットした児童向け小説『ハリー・ポッター』のシリーズに出てくるような学校で、難民キャンプとは全くの別世界でした。

 どんな一日を過ごすかというと、朝、寮監の女性に起こされ、歯を磨き、ブレザーにネクタイの制服に着替えて、ダイニングホールで朝食。創設者の名前を冠したハウスごとに上級生から下級生まで全員で一つの食卓を囲みます。私はノリス・ハウスの所属でした。テーブルマナーはとても厳しくて、ひじをついたりすれば、すぐにたたかれるので、窮屈に感じていましたね。

 授業は全て英語で、数学や理科、歴史を習いました。歴史というのは英国の視点で描いた世界史で、国が違うと世界はこんなふうに違ってみえるのかと思いました。

 昼食を挟んで、授業は午後3時までに終わり、アフタヌーンティー。このときはブレザーやネクタイはしなくてもよかった。英国式の学校だから、夕食も含めて食堂には1日に4回行くんです。

 お茶が終わると、クラブ活動。ヒマラヤ山脈の麓にある標高2千メートルの水が乏しい町だったのに学校にはプールがあり、ハウス対抗戦で開催される水泳大会や運動会はすごく盛り上がりました。クラブ活動後はシャワーを浴び、また制服に着替えて、夕食。その後、就寝時間までは勉強でした。

 非常に厳しかったですが、落ち着いてちゃんと勉強できるなと思った初めての場所でした。(聞き手 平田雄介)

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