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【門井慶喜の史々周国】≪天保山≫大阪市港区 大坂の民力、教養の結晶

標高4・5メートルの天保山が敷地内にある天保山公園。明治元年に明治天皇が軍艦を観艦したことを記念した「明治天皇観艦之所碑」が建つ=大阪市港区(筆者撮影)
標高4・5メートルの天保山が敷地内にある天保山公園。明治元年に明治天皇が軍艦を観艦したことを記念した「明治天皇観艦之所碑」が建つ=大阪市港区(筆者撮影)
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 改元さわぎも一段落。記念セールやキャンペーンは少なくなり、これからは「令和」を冠した社名や校名がふえていくのだろう。三十年前の「平成」のときは崩御がきっかけだったからもう少し粛然としていたが、それでも「昭和をふりかえる」的な番組が続出し、株価が上がり、やっぱり非日常的な気分だった。

 改元というのは、古来、大衆相手の行為ではない。

 結果的にそうなるにしろ、もともとは天への祈りだった。元号という言葉の供物をささげて瑞祥をよろこび、天変地異をかなしむ。天と国主(こくしゅ)の直接交渉。中世以前ではもっぱら権力者か知識人の関心事にすぎなかったのが、民衆のお祭りさわぎになり、歴史の表面にあらわれたのは、たぶん大阪の、

 --天保山から。

 と、私はかねて目をつけていた。

 いまこそ行くべき機(とき)だろう。何しろ独立峰である。その頂上をめざすのである。登山靴に地図、コンパス、山行計画書…いやいや、地下鉄の駅から歩いて十分。

 デニムにTシャツの軽装で、十何段かの階段をのぼったら登頂成功。標高四・五メートル、ちゃんと三角点もある。この山はじつは、ついこのあいだまで日本一低い山だったのだ。

 いまは他県にもっと低い山がある由だけど、文字どおり、どんぐりの背くらべ。近隣の住民のなかには単なる公園としか思っていない人も多いだろう。元来はもうちょっと高かった。完成したのは--人工山なのだ--ペリー来航の少し前、天保三年(一八三二)。もちろん天保年間だ。

 大坂には、淀川という川がある。ふるくから京と海(大阪湾)をむすぶ貨物や旅客の大動脈で、しかし長年のうちに河口に土砂が堆積した。

 船の往来の邪魔になった。このため幕府が大浚渫(しゅんせつ)をはじめたのが前年である。資金は鴻池や加島屋などの豪商はもちろん、裏店(うらだな)の住人からも集めたというから民力結集の大事業だ。その大浚渫で生じた土砂を、左岸の先に積みあげたら、高さ十メートルの山になったのだ。

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