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【話の肖像画】チベット難民の医師・西蔵ツワン(67)(1)難民キャンプ経て日本留学

チベット難民の医師、西蔵ツワンさん(平田雄介撮影)
チベット難民の医師、西蔵ツワンさん(平田雄介撮影)

 〈1962年、中国に支配されたチベットから家族で亡命した。ネパール、インドの難民キャンプを経て、65年に日本に留学し、医師になった〉

 来日したときは13歳。もう半世紀以上、埼玉県内で暮らしているから、地元の患者さんは私の生い立ちを知っている。でも、他の病院から転院してきた人や飛び込みの患者さんは知らないから、最初に「珍しい名前だな」という顔をする。だけど、皆さん、気を使われるのか、突っ込んでは聞いてこない。私も診察時はゆっくり話せない。

 そこで、少し余裕のある入院時や退院時の面談のときに「実は…」と話すのです。そしたら、驚いた様子で「それは大変でしたね」と興味深そうに質問してくださる。西蔵という名字がチベットを意味すること、イチから日本語を覚えて医大を卒業したこと、帰化して日本国籍を取得したこと、留学には日本の方々の支援があったこと。話し出せばきりがない。かわいそうなのは、何度となく私の人生を聞かされる医療チームの薬剤師や看護師、栄養士さんたちで、「また始まった」となるわけです。

 〈生まれたのはネパール国境に近い商業都市シガツェ。1952年5月で、中国人民解放軍が首都ラサに進駐した翌年だった〉

 生まれたころのチベットは独立国として広く認められていました。59年に中国の支配を拒む抵抗運動が武力で鎮圧された「チベット蜂起」が発生し、その3年後の62年、10歳のときに亡命しました。チベットについては幼少期の記憶しかありません。

 子供でしたから、当時は政治の話について何が正しく、何が間違いだ、という意見を持っていなかったですよね。率直に言えば、チベットに何が起きているのかもよく分かってはいなかった。

 ただ、亡命後に難民キャンプで苦労したこともあって、チベット時代はお手伝いさんが何人もいるような裕福な暮らしだったということは、強く印象に残っています。広い家だったので、父の友人がよく遊びに来ていました。レコードをかけた蓄音機の歌声はどこから出るのかと聞かれて、父が「ラッパの奥に小さな妖精がいて歌っている」と冗談を言って笑っていたのをよく覚えています。(聞き手 平田雄介)

【プロフィル】西蔵ツワン(にしくら・つわん) 武蔵台病院病院長。医学博士。1952年、ネパール国境に近いチベットの商業都市、シガツェに生まれる。中国支配を拒む民族の抵抗が武力鎮圧された「チベット動乱」後の62年、亡命。ネパール、インドを経て65年に来日。80年、埼玉医科大を卒業。近年はチベット難民キャンプを毎年訪ね、支援を続けている。

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