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父・十四代沈寿官を悼む 「社会をよくしたい」信念貫く唯一無二の人

金大中韓国大統領(当時)の歓迎晩餐会に出席する十四代沈寿官氏 =平成10年10月、東京都内のホテル
金大中韓国大統領(当時)の歓迎晩餐会に出席する十四代沈寿官氏 =平成10年10月、東京都内のホテル

 人間としての器がとても大きな人だった。国民的作家の司馬遼太郎先生が珍しく、存命中の人物を小説で描いた(「故郷(こきょう)忘(ぼう)じがたく候(そうろう)」)存在というのは、それが理由なのだと思う。

 陶芸作家としては、日展や日本工芸会に所属せず、その意味では世に出るために陶歴を飾ろうなどと思う人ではなかった。400年続いた家業を絶やすまいと先代の厳命を守って十四代沈寿官となった人。だからこそ、唯一無二の人だといってもいい。

 父のことで、一番記憶に残っているのは、何かの拍子に「きみはどうすれば一人前になれると思う?」と聞かれたこと。「働いて給料を取り、家族を食べさせ、守り抜く」と答えると「それは誰でもやることだ。ひとりでいたって寂しくない、自分の信念をひとりぼっちになっても貫きとおす。それが一人前ということだ」。言葉のひとつひとつに重みがあった。

 この世界に入る前には政治の世界を志した時期もあったし、薩摩焼作家というより「もっと社会をよくしたい」という広い視野をもった人だった。社会教育や学校教育に力を注ぎ、僻地(へきち)だからといって子供の教育の機会を奪ってはならないと、小学校の複式学級(2つ以上の学年を1つに編成する学級)の児童数を大幅に引き下げるよう鹿児島県に要求したりもした。父はいつも「未来は子供とともにやってくる」と言っていた。

 司馬先生は、宮崎や熊本など近くに来られると必ず父をたずね、2人で酒を飲みながらよく語り合っていた。父も「街道をゆく」の種子島取材旅行についていくなど、まるで兄弟みたいに仲が良かった。父は体も大きかったので、司馬先生は酔っ払うと「ケンカの強い弟ができた」と喜んでいた、と記憶している。

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