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【話の肖像画】作家・江上剛(65)(7)合併に異論、支店へ転出

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築地支店長時代、スタッフと(前列中央が本人)
築地支店長時代、スタッフと(前列中央が本人)

 〈総会屋への利益供与事件から2年後の平成11年8月。第一勧業、富士、日本興業の3銀行の経営統合が発表された〉

 第一勧銀は、11人もの役員や幹部が逮捕され、宮崎邦次(くにじ)元相談役が自殺するという悲劇的な事件を受けて、銀行を根本的に変革している途上でした。まだまだやるべきことがあったので、僕は「まず銀行内を固めてから合併すべきだ」と頭取らに意見を言いました。でも、経営側は合併に突き進んだ。

 僕も委員の一人として、合併の作業の一部を担当しました。合併するなら、行員やお客さまのためにいい銀行を作りたいと思っていました。でも、結局どの銀行が主導権を握るか、そればかりを争っていて、いやになりました。総会屋事件の裏には、第一勧銀の中で旧第一、旧勧業の系列が対立していたことがあったのに、事件の経験がまったくいかされていない。責任を取った人はみんな辞めたり亡くなったりしたから、肝心なことが引き継がれていないんですね。情けなくて仕方ありませんでした。

 失礼かもしれないけど、総会屋事件の後に偉くなったのは、たぶん事件がなければ役員になるような実力はなかった人たち。事件に関係した人たちは、優秀だからこそ、どこかで会社の暗部にも触れざるを得ず、責任を取らされてしまった。事件が起きた会社では、それまでたいした評価をされなかった人が残って主導権を握ることになるので、事件前に比べるとどうしてもレベルは低くなる。トップが逮捕された自動車会社もそうなんじゃないかな。

 〈翌12年1月、本部から高田馬場支店長に転出する〉

 役員から「本部でやれることは分かった。支店でできるかどうかだ」と言われ、支店に出ることになりました。

 別の役員から電話で「おまえ、逆らうな。逆らわなければ役員になれるから」と忠告されました。自分では逆らっているつもりはなかったんですが。事件から3年が過ぎ、平穏になると、「まだ合併は早い」とか言う僕の存在が煙たくなったんでしょうね。

 〈支店では、行員にも地元の人にも恵まれ、楽しく働いた〉

 高田馬場は不良債権が何百億円とある業績の悪い支店だった。支店長になってすぐにやったのはノルマや会議の廃止。行員には自分のやりたいことをやってもらいました。仕事にかぎらず、遊びでも勉強でも何でもいい。全行員に「君は本当は何がやりたいの?」と聞いて回り、そのためにはどんなふうに仕事をすればいいか考えてもらった。

 例えば、英会話を勉強したい行員には、「残業していたら英会話学校に行けないよね」と言うと、仕事を定時で切り上げる方法を自分で考えてやるようになる。自分のやりたいことだから、みんながんばるし、楽しくやれる。結果として業績もどんどん上がっていきました。その後は築地支店長になりました。(聞き手 平沢裕子)

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