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【書評】『新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む』

■「階級社会」イメージに一石

 江戸末期、忍(おし)藩十万石の城下町(現・埼玉県行田市)に、尾崎石城(せきじょう)という下級武士がいた。文才と画才のあった彼は『石城日記』という「絵日記」を書き残した。淡々とつづられる文章と淡い彩色の施された挿絵には幕末を生きる人々の等身大の暮らしが穏やかに投影されている。

 登場人物は武士にとどまらない。個性豊かな町人や僧侶、料亭の女将(おかみ)らの姿が、生き生きと活写されている。伝わってくるのは、おおらかな「助け合いの心」。来客への精いっぱいのもてなしや、病気を患った者を見舞う心遣い。お金に余裕のない下級武士同士は本を貸し合う。「風呂が沸いたのでどうぞ」との「もらい湯」の風習は、今や失われて久しい。

 石城は武士仲間の他、町人ともよく酒を酌み交わす。人と人との温かみあふれる交流には、身分の違いを感じさせない。酒宴で歌ったり踊ったりする者たちの表情はいかにも楽しげだ。つまみは豆腐や牛蒡(ごぼう)、大根、油揚げ、泥鰌(どじょう)など。祝い事の折には、鰻(うなぎ)や鮪(まぐろ)、鶏肉などが並ぶ。夏は団扇(うちわ)片手に、冬は炬燵(こたつ)を囲んで、色恋から天下国家のことまで語り合う。翌朝、二日酔いがつらいのは、今も昔も同じ。

 石城は毎日のように近所の寺に顔を出し、和尚とも雑話を楽しむ。ある日、寺で朝食に唐茄子(とうなす)(かぼちゃ)を振る舞われた石城は、そのまま長居し、昼食に好物の素麺(そうめん)までごちそうになる。しかし、麺につける辛子(からし)がなかったため、芥子菜(からしな)の種を擦って間に合わせた。その味は彼いわく「大いによろし」。昼食後は和尚とともに昼寝である。

 時にはしがらみやけんかに悩まされつつも、その日常は落語の世界のようにどことなくユーモラス。挿絵に描かれる人々の表情には笑顔が多く、「笑い声」が聞こえてきそうである。人と人との結びつきは、総じて今より密接だったように映る。また、さまざまな身分の者たちが濃密な関係性を築き合いながら生活しているさまは、「強固な階級社会」といった江戸時代のイメージに一石を投じる。

 歴史とは「匂い」があってこそ味わい深い。年号の丸暗記や、無味乾燥な教科書の記述によって、歴史への興味を減じた方も多いはず。本書のような存在は「大いによろし」。(大岡敏昭著/水曜社・2500円+税)

 評・早坂隆(ノンフィクション作家)

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