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【話の肖像画】作家・江上剛(65)(6)生意気だった新人時代

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新人研修にて。後列左から3番目が江上剛さん=昭和52年4月(本人提供)
新人研修にて。後列左から3番目が江上剛さん=昭和52年4月(本人提供)

 〈入行した第一勧業(現みずほ)銀行では、大阪・梅田支店に配属される〉

 もともと銀行員になるつもりはなかったものの、「せっかく縁あって入ったのだからがんばろう。どうせ長い時間、銀行にいるのだから、楽しもう」と考え、自分なりにいろいろ工夫して仕事をしました。

 窓口でお客さまの現金の受け入れなどをする「テラー業務」を担当していたときのことです。お客さまはベテラン行員の窓口にばかり行きます。新人の僕に頼むのは不安だからです。それで、ベテラン行員より元気に「いらっしゃいませ!」と挨拶をするようにしました。「ここは魚屋か」とお客さまに笑われましたが、その声に引き寄せられてお客さまが僕の窓口にも来るようになりました。口座を新しく開いてくださったお客さまには独身寮に戻ってからお礼状を書き、「また僕の窓口に来てください」とお願いしました。

 あるとき、テラー業務を行っていたら、突然、2本の腕が伸びてきて、机の上の現金をつかまれました。僕は、「すわ、強盗か」と、その腕をむんずとつかんで、顔を上げて“犯人”の顔を見たら支店長でした。実はこれ、とっさの事態への対応を見るため、支店長が僕をテストしていたのでした。合格したようで、先輩を差し置いて、入行2年目で外為課に配属され、貿易商社などを担当しました。

 仕事がおもしろく、順調に昇格、昇進しました。ただ、上司にとって、僕は生意気で扱いづらい部下だったかもしれません。

 ある日、エリート意識ぷんぷんで、部下を自分の出世のための道具のように扱い、いじめる課長に、「あなたのやり方はおかしい」と意見したことがあります。課長は「分かった。君の意見は聞き入れる」と言ってくれましたが、何も改善せず、僕の人事評価が最低と付けられた。幸い、支店長や副支店長が僕に理解を示してくれたため、課長の方が左遷されてしまいました。

 これ以外でも、人事評価でバッテンをつけられそうになったことが何度かあります。でも、その都度、「あいつの個性を殺すな」と助けてくれる人がいて、左遷されることなく本部の主要なポストを経験させてもらいました。

 〈本部では人事や広報などを担当する〉

 人事部では、行員の昇格・昇進を決める部署も担当しました。人事部はほぼ全員が東大出身。入行7年目に訪れる昇格の機会に選抜されるのも東大出がほとんどです。

 あるとき、東大出の先輩が、明治大出身でものすごく活躍していた行員を昇格させずに、お客さまとまともに交渉もできない東大出の行員を昇格させようとしたことがありました。昇格は仕事の実績で評価すべきだと思っていた僕が異議を申し立て、入行後の試験成績を提出してもらうことにしました。比べると明大出の行員の方が圧倒的に成績が上。東大出の行員を落として、昇格させました。僕も早稲田大という私学の出身だったので、実力で評価してあげられてよかったと思いました。(聞き手 平沢裕子)

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