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「絶対的少数派」の批評に光 江藤淳、没後20年

江藤淳没後20年特集 関連書籍=14日、東京都千代田区(早坂洋祐撮影)
江藤淳没後20年特集 関連書籍=14日、東京都千代田区(早坂洋祐撮影)

 文学評論やエッセー、戦後の占領史研究など幅広い分野で著作を残した評論家、江藤淳さん(1932~99年)が自ら命を絶ってから今年で20年になる。節目を機に業績をたどる展覧会が開かれ、大部の評伝も刊行された。戦後日本のあり方に警鐘を鳴らし続けた論客の言葉に、改めて光が当たっている。(海老沢類)

文明への広がり

 慶応大在学中に書いた「夏目漱石論」の草稿、その執筆を勧めた盟友である作家、山川方夫(まさお)からの書簡…。和室で愛用していたという文机も目に入る。

 横浜市の神奈川近代文学館で開かれている「没後20年 江藤淳展」(7月15日まで)には、昭和を代表する論客の足跡を紹介する約260点の資料が並ぶ。目を引くのは繊細な一面を伝える自筆原稿だ。未完に終わった評伝『漱石とその時代』や西郷隆盛の最期を描く『南洲残影』に、エッセー『妻と私』。エッセーは鉛筆、論文は万年筆で-と仕事の内容によって筆記具を厳密に換えていたといい、修正の少ない整った字で埋められている。

 「江藤さんの評論は単なる文芸批評を超えて文明批評としての広がりを持っていた。他方、私的なエッセーの中では無防備なまでに自分を語っている」。1日に同館であった「戦後批評の正嫡(せいちゃく)」と題した講演でそう語ったのは社会学者の上野千鶴子さん(70)だ。江藤さんは文芸批評の代表作『成熟と喪失』(昭和42年)で、昭和20年代後半に登場した「第三の新人」の小説から近代日本の家族の変容を読み取り、後年は憲法をはじめ、戦後の日本を拘束するさまざまな構造を痛烈に批判した。

 上野さんは一連の仕事を国民作家の漱石や“批評の神様”小林秀雄らの系譜に置く。「西洋の文化的植民地となった日本の近代と、米国の文化的植民地となった戦後日本。その状況を批判的に受け継ぎ、どう自己を回復していくか-。明治以来の知識人の課題を引き受けた“正嫡”として後進の批評家に深い影響を与えている」

湿った内面

 没後20年に合わせ、『戦後と私・神話の克服』(中公文庫)や『新編 天皇とその時代』(文春学藝ライブラリー)など著作の刊行が相次ぎ、再評価の機運も高まる。

 「江藤さんと関わりがあった人たちも高齢になっている。最後のチャンス、という気持ちで取材した」と話すのは、江藤さんが自殺する数時間前に自宅を訪ねて絶筆となる原稿を直接受け取っていた「文学界」元編集長の平山周吉さん(67)。取材と執筆に4年以上をかけた評伝『江藤淳は甦(よみが)える』(新潮社)を4月に出した。活発な日比谷高校生時代や、生と死への考察を深めた大学時代の自殺未遂、幼少期に母を亡くしたことによる大きな欠落感…。800ページ近い大冊は、知られざる挿話を通して、歯にきぬ着せぬ“タカ派の論客”というイメージの奥に潜む、弱くて湿った内面も掘り起こす。

 平山さんはその批評家としての姿勢を「絶対的少数派」と表現する。先の大戦後に米国が日本で行った検閲を検証する占領史研究の代表作『閉(とざ)された言語空間』(平成元年)は象徴的だという。江藤さんは同書で、占領下の検閲はメディアの自主検閲やタブーの増殖にもつながり、戦後日本の言説全体を「拘束」していると指摘。「今日の日本に、“自由”は依然としてない」と書いた。

 「それは『戦後日本』という体制全体への異議申し立てとなったから、周囲から孤立もした。それでも歴史への責任と義務だ-と言いたいことを言った」と平山さんは語る。「今『拘束』の構造はむしろ強化されているかもしれない。日本は変わろうとして変われていない。だから、江藤さんの批評の言葉は古びないのではないでしょうか」

 えとう・じゅん 昭和7年、東京生まれ。慶応大英文科卒。在学中の31年に刊行した『夏目漱石』で一躍脚光を浴びる。文芸批評にとどまらず、評伝や史伝、占領史研究なども手がけた。著書に『漱石とその時代』(菊池寛賞、野間文芸賞)、『小林秀雄』(新潮社文学賞)など。平成11年7月、死去。

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