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【万葉賛歌】その時代(5)防人の悲しみに心打たれ

鞠智城跡。左は復元された楼閣。東国からやってきた防人たちが祖国防衛のため、ここで勤務していたのだろう=熊本県山鹿市(鳥越瑞絵撮影)
鞠智城跡。左は復元された楼閣。東国からやってきた防人たちが祖国防衛のため、ここで勤務していたのだろう=熊本県山鹿市(鳥越瑞絵撮影)

 韓衣(からころも)裾(すそ)に取りつき泣く子らを 置きてそ来(き)ぬや母(おも)なしにして(巻20-4401)

【口語訳】韓衣の裾に取り付いて泣く子らを残して来たのだ。母親もないのに。(岩波文庫版「万葉集」から)

 今日(けふ)よりは顧(かへり)みなくて大君(おほきみ)の 醜(しこ)の御楯(みたて)と出(い)で立つ我(われ)は(巻20-4373)

 今日からは後ろをふり返ることをせず、天皇の至らぬ守備兵として出発するのだ、私は。

【口語訳】今日からは後ろをふり返ることをせず、天皇の至らぬ守備兵として出発するのだ。私は。(岩波文庫版「万葉集」から)

 「万葉の時代」は、飛鳥の宮殿や平城京の華やかさの一方で、東国の名もない農民が国の守りのために駆り出された時代でもあった。「防人(さきもり)」と呼ばれる人たちである。

 大宰府(だざいふ)から南に約60キロ。熊本県北部の山鹿(やまが)市と菊池市に広がる山あいに国指定史跡「鞠智城跡(きくちじょうせき)」がある。7世紀後半、白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた日本が、唐軍の侵攻に備えて築いた古代山城(こだいさんじょう)のひとつである。

 昭和42年から発掘調査が進み、貯水池のほか建物跡、百済(くだら)様式の仏像などが見つかった。このうち八角形の楼閣(鼓楼)や兵舎、米倉などが復元されている。また中心部分には、シンボルとして防人などのブロンズ像が立つ。

 「広さなどから兵舎は1棟あたり50人ほどが生活できたようです。東国からの防人がどれほどいたかは、よく分かりません」

 長く調査を担当してきた熊本県教委文化課の矢野裕介主幹は言う。

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