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【万葉賛歌】その時代(4)名族・大伴氏、矜持と苦悩

 しかし一方で、この時代は大伴氏や佐伯氏といった古来、大和朝廷を支えてきた名族が、新興豪族である藤原氏の前に、没落してゆく過程にもあたっていた。

 新元号「令和」の典拠として脚光を浴びた「梅花の宴」(730年1月13日)は家持の父、旅人(たびと)が大宰府(だざいふ)長官として催したものである。詠んだ序文や歌の数々は華やかだったが旅人の内心はどうだったか。そもそも、大宰府への赴任自体、大伴氏の家長である旅人を平城京から遠ざける左遷であった。また前年には旅人を評価した長屋王(ながやおう)が藤原氏の讒言(ざんげん)で自害し果てている。

 天皇の信任に応えることこそ大伴氏の役割だ。家持も自ら言いきかせて生きた。だが実際には、藤原不比等(ふひと)の娘、光明子(こうみょうし)が聖武帝の皇后に立ち、一族は多く高官に取り立てられている。家持の歌には名門出の矜持(きょうじ)と、大伴氏の衰運に悩む思いが交錯していたのである。(客員論説委員 渡部裕明)

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