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【万葉賛歌】その時代(4)名族・大伴氏、矜持と苦悩

東大寺大仏。造立の当初は東北地方で採れた砂金によって黄金色に輝いていた。大伴家持は産金を祝い、遠く越中国(富山県)から歌をささげた(恵守乾撮影)
東大寺大仏。造立の当初は東北地方で採れた砂金によって黄金色に輝いていた。大伴家持は産金を祝い、遠く越中国(富山県)から歌をささげた(恵守乾撮影)

 天皇(すめろき)の御代栄(みよさか)えむと東(あづま)なる

 陸奥山(みちのくやま)に金(くがね)花咲く(巻18-4097)

【口語訳】天皇の御代が栄えるであろうと、東国の陸奥の山に、黄金が花の咲き出るように現れた

 (岩波文庫版「万葉集」から)

 「万葉集」の編纂(へんさん)者は、大伴家持(やかもち)(718?~785年)とされる。収録された歌の多さからも推測されるが、といってすべてが家持の手になるのではなく、最終段階に近いところで家持が重要な役割を果たしたということだろう。

 そして万葉集で最も新しく詠まれた歌も天平宝字(てんぴょうほうじ)3(759)年正月の家持の歌である。つまり万葉歌人としての家持の生涯は、聖武天皇とその娘、孝謙天皇の治世とほぼ重なることとなる。

 聖武帝が最も力を入れた事業といえば、大仏(盧舎那仏(るしゃなぶつ))の造立であろう。別掲の歌は天平感宝(かんぽう)元(749)年5月、大仏を鍍金(めっき)するための黄金が東北地方(宮城県涌谷町(わくやちょう))で発見された喜びを表現したものである。

 家持は当時、越中守(えっちゅうのかみ)で富山県高岡市の館にいた。同時に歌った長歌には、聖武帝の詔(みことのり)にわざわざ《海行(ゆ)かば水浸(みづ)く屍(かばね)、山行(ゆ)かば草むす屍、大君(おほきみ)の辺(へ)にこそ死なめ、のどには死なじ》(海に戦えば水につかる屍、山に戦えば草の茂る屍となろうとも大君のおそば近く死のう。ほかにのどかな死をすることはあるまい)(「続日本紀」天平21(749)年4月1日)という大伴氏の言立(ことだ)て(誓いの言葉)が含まれていたことへの、感謝があふれている。

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