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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(10)「自らの力で出てくる者だけがものになる」何も言い残さず72歳の死

 昭和40年4月27日午後9時40分に弘一は卒然と旅立った。

 政隆によると、弘一は手を振って、いつものように気軽に“グッドバイ”しているふうだった。妻の紀久子や縁者らが駆けつけてきたのは息をひきとってしばらく後だったという。

 弘一は最初に大吐血して開腹手術を受ける際、紀久子に言い残すことを聞かれ、「そんなものはない」と言い切った。

 この父親について、後に近大総長・理事長、参議院議員として後を継ぐ政隆はこう述懐している。

 「ついに政治をやれとも、家族のこと、大学のことも、一言も私たちにも誰にも黙して語らなかった。努力して自らの力で出てくる者だけがものになる。これが彼の徹底した処世観である。自分にも、家族、親類、友人にも、その姿勢でのぞんでいた」

  (松岡達郎)=敬称略

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