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大阪・ミナミで11年ぶりに芸妓お披露目

踊りを披露する玉幸さんと三味線をひく八重鶴さん=大阪市中央区島之内(たに川提供)
踊りを披露する玉幸さんと三味線をひく八重鶴さん=大阪市中央区島之内(たに川提供)

 花街としてにぎわった大阪・南地(なんち、現在のミナミ)に残る唯一の茶屋「たに川」(大阪市中央区)で5月、11年ぶりに芸妓3人のお披露目が行われた。かつて大阪に4カ所あった花街も、時代の波に押されて衰退し、北新地(キタ)の茶屋と合わせて3軒が残るのみ。南地で最後のお座敷を守る谷川恵(めぐむ)さん(45)は「売れっ子さんになって大阪の花街文化を盛り上げてほしい」と期待を込める。(吉国在)

 5月10日、ふすまに囲まれた和室で「チン・トン・シャン」と三味線が奏でる音色に合わせ、黒紋付きの裾引き(着物)姿の若い芸妓が、長唄「松の緑」の初々しい踊りを披露した。

 登場したのは、舞踊を担当する「立方(たちかた)」の玉幸(たまこ)さん(20)、多美鶴(たみづる)さん(24)、三味線や唄を専門にする「地方(じかた)」の八重鶴(やえづる)さん。昨年デビューを果たした八重鶴さんだが、新時代の「令和」が始まった5月に合わせ、3人でのお披露目となった。

 中学時代から日本舞踊をたしなんだ奈良県出身の玉幸さんは「踊りで魅了できる芸妓さんになって、伝統文化を伝える存在になれれば」。花街に憧れを抱いていた大阪府出身の多美鶴さんは「お客さんにかわいがってもらえる、すてきな芸妓さんになりたい」。踊りの師匠やお座敷に見習いとして登場しながら所作を学ぶなど、最長1年半の修業期間を経て芸妓になった2人は意欲をみせる。

 昭和10年ごろの大阪では、芸妓が北新地に500人、新町に900人、堀江に500人、南地には2000人が在籍し四大花街として栄えた。

 戦争で多くの建物が焼失した後もにぎわいは続いたが、都市化の進行や娯楽の変化に伴い大阪万博が開催された昭和45年ごろをピークに芸妓の数は減少した。今では南地の3人のほか、北新地に6人のみとなり、お茶屋もたに川と、北新地の2軒だけ。大阪の花街文化は「風前のともしび」になっている。

 これまでも芸妓を志す若い女性もいたが、修業がつらいなどの理由で一人前になる前に次々と辞めていったという。主人の谷川さんは「久々に南地に芸妓が誕生したのは、本当にありがたい。令和の時代にも古き良き花街文化を伝えていきたい」と意気込んでいる。

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