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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(9)大学スポーツにかけた教育者としての情熱

相撲部と記念撮影する世耕弘一氏(前列右から3人目、近畿大学提供)
相撲部と記念撮影する世耕弘一氏(前列右から3人目、近畿大学提供)
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 近畿大学創設者で総長だった世耕弘一は、スポーツはしなかったが、学生スポーツのバックアップを惜しまなかった。このため近大には硬式野球部や相撲部、水上競技部など名門クラブが少なくない。

 書生として弘一宅に住み込んだことのある元近大建学史料室長の當仲將宏(とうなか・まさひろ)は「酒もたばこもたしなまれなかった総長はとにかく読書好き。数少ない趣味はビリヤードで、腕前もたいしたものでしたが、スポーツはされなかった。なぜ学生のスポーツが好きだったかは知りません」と語る。

 弘一は、近大で学生スポーツを重視し、運動部の活動をまとめた昭和31年の近畿大学体育年鑑に「若人に寄す」と題して、こう書いている。

 〈体育の発達は全く重要であり、ここに学生としても学問と併行してこれを習得修業されんことを望んでやまない〉

 昭和初期、日本大学時代の弘一による学生スポーツにまつわるエピソードが語りぐさとなっている。

 日大関係者の回想録によると、日大時代の弘一は、現金を用意しないで水泳部のためプールを建設しようと東急電鉄創業者の五島慶太に直談判。最初は体よく断られたが、あきらめることなく数回の説得の末に口説き落とし、土地の買収や材料の立て替え払いもさせてプールを建設した。そこから「フジヤマのトビウオ」とうたわれた古橋広之進ら名選手が育ったといわれている。

 34年4月の入学式で「本日の新入学生はわずかに2500人ですが、ここ数年の後には(中略)毎年少なくとも1万人の新入学生を収容するようにしたい」と訓示した際、當仲に「スポーツを盛んにして入学生を増やしたい」と語っている。弘一は、日大での成功体験を踏まえ、学生スポーツの人気と発信力に期待したとみられる。

 近大には弘一のスポーツにまつわるエピソードが多く残されている。

 相撲部には、自ら国体で活躍していた吉村道明を愛知県まで出向いてスカウトしたことで知られる。吉村は学生横綱になり、団体戦での全国制覇に導き、卒業後にはプロレスラーとして人気を博した。

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