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【万葉賛歌】その時代(2)大敗戦からの国づくり

 にもかかわらず、九州に着いた斉明女帝は間もなく体調を崩し、7月には崩御してしまう。中大兄皇子は即位式も挙げないまま指揮を執ったが、2年後の白村江の決戦では惨敗してしまった。

 「唐軍は勢いに任せて侵攻してくるかも…」。中大兄らは恐れ、亡命してきた百済人技術者らの指導で、対馬から瀬戸内海沿岸にかけて山城(やまじろ)や烽火台(のろしだい)を設けた。さらには、都を近江(大津市)に移している。

 亡国の危機を脱したのは偶然でしかなかった。朝鮮半島で新羅が唐を追い出す戦争を始めたからである。しかし天智天皇は敗戦を重くとらえ、唐にならった中央集権の国づくりに邁進(まいしん)した。そして彼の死後、志は同母弟である天武天皇やその皇后だった持統天皇に受け継がれる。(客員論説委員 渡部裕明)

熟田津(にきたつ)に船乗(ふなの)りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出(い)でな   (巻1-8)

【口語訳】

熟田津で船に乗り込もうと月の出を待っていると、潮も、船出にちょうどよくなってきた。さあ、今こそ漕ぎ出そう

(岩波文庫版「万葉集」から)

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