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【万葉賛歌】時代の歌(1)「万葉王朝の始祖」高らかに

「万葉集」の舞台となったかつての大和。畝傍山(手前)、耳成山(左端)、天香久山(右奥)の大和三山が優美な姿を見せる=奈良県橿原市、明日香村周辺(本社ヘリから、彦野公太朗撮影)
「万葉集」の舞台となったかつての大和。畝傍山(手前)、耳成山(左端)、天香久山(右奥)の大和三山が優美な姿を見せる=奈良県橿原市、明日香村周辺(本社ヘリから、彦野公太朗撮影)

 関西で暮らし始めて40年以上になるが、歴史好きの客を案内する定番コースがある。奈良市の平城宮跡(へいじょうきゅうせき)を起点に南へくだり、三輪山山麓から藤原宮跡、飛鳥へと足を延ばす。日本という国の誕生を実感できる旅だからだ。

 新元号「令和」によって注目されている「万葉集」4500余首の歌の冒頭は、別掲の雄略(ゆうりゃく)天皇の長歌で始まる。うらうらとした春の岡、若菜を摘む若い女性がいる。生命のきらめきの象徴のような彼女に向かって名を名乗る、つまり結婚を申し込む「我(われ)」は、大和を治める王者。堂々たる風格が伝わってくる。

 だが雄略天皇は、5世紀後半に生きた人物である。いわゆる万葉歌が詠まれた7世紀後半から8世紀の人々にとっては、はるかに遠い昔。しかも、実際に雄略天皇の作である可能性は限りなく小さい。

 ではなぜ、この歌が万葉集の冒頭に据えられ、雄略天皇の御製(ぎょせい)(天皇の作)とされたのか。研究家の多くは「8世紀の人々が今の天皇家の直接の始祖は雄略天皇と認識していたからだ」とみる。

 雄略天皇(大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけるのすめらみこと))は系譜上第21代に数えられ、西暦478年、中国の宋に使節を派遣した倭王「武(ぶ)」にあたるとされる。埼玉県行田市(ぎょうだし)の稲荷山古墳から出土した鉄剣に「ワカタケル大王」の名が刻まれ、実在が証明された最初の天皇でもある。

 日本書紀は雄略天皇について、皇位継承のライバルを次々殺害する「暴虐王」の面と、葛城の一言主神(ひとことぬしのかみ)と語り合うなど「徳ある王」という相反する性格を持っていたと描く。大和政権の版図が東国から九州まで拡大したことや官僚制の萌芽(ほうが)も確認でき、歴史家の多くが「雄略朝こそ古代の画期」と考えている。

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