PR

ライフ ライフ

【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(7)一目惚れした原子炉を購入…大学で専門技術者育成

完成当初の近大原子力研究所(近畿大学提供)
完成当初の近大原子力研究所(近畿大学提供)

 「これからは宇宙と原子力だよ」

 近畿大学を創設し総長として学部・学科の増設や附属施設の拡充を進めていた世耕弘一は昭和30年ごろ、よく周囲にこう語り、とくに「第三の火」と呼ばれた原子力を〈空前絶後のエネルギー革命の到来〉と期待していた。

 そんな弘一が経済企画庁長官だった34年5月、東京・晴海の東京国際見本市を視察した際、米国が出展していた教育・研究原子炉UTRを見て一目惚れし、購入と学内設置へと動いた。

 「一私大が原子炉を買うのには勇気が必要だったと思います。新しい技術などに興味を持ち、取り入れるところは私も似ています」

 孫で経済産業相の弘成(ひろしげ)はこう話す。

 弘一は学内に原子炉設置準備室を開設した。経企庁長官として世界の原子力の潮流を知るにつれ日本の立ち遅れを痛感し、「情けない。ほかがやらないなら近大でやってみせようじゃないか。原子炉をつくって専門技術者を育ててみせる」との思いを強くしたことが背景にある。

 弘一は、原子力委員長だった三木武夫(後の首相)に頼み込んだ。米国も関与する問題だけに簡単ではなかったが、原子炉の技術者育成を目指す無私の姿勢が理解されたのか、1年後に米製造会社との売買契約がまとまり、35年8月には国が近大の原子炉設置を認可した。

 しかし民間原子炉の第1号、国内初の大学原子炉の設置は困難がともなった。熱出力0・1ワットの極低出力のUTRにも耐震、遮蔽などの施工で厳しい基準が求められた。原水爆禁止運動が盛んで住民の反対運動が起き、学内からは「金食い虫」と批判があった。それでも弘一は学内外で「原子力は人類の明日のエネルギーだ」と説得し、学内設置が実現した。

 翌36年に原子力研究所を設立して自ら所長に就任。同時に理工学部に「原子炉工学科」を開設した。学科名をめぐっては「原子力工学科」も候補だったが、弘一が「近大が育成を目指すのは“原子炉”の現場の高度専門技術者だ」と強調したことで決着した。

 こうして近大原子炉は36年11月11日に臨界に達し、研究・教育・訓練用原子炉として多くの技術者を育ててきた。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ