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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(6)「悪条件でやってこそ研究だ」日本にもまだ農場になる土地があることを示した附属農場

機械を使った附属農場での作業=和歌山県湯浅町(近畿大学提供)
機械を使った附属農場での作業=和歌山県湯浅町(近畿大学提供)

 近畿大学総長となった世耕弘一は「陸を耕す」研究にも注目した。昭和27年に有田ミカンの産地の一角に位置する和歌山県湯浅町に農芸化学研究所を設立し、33年の農学部の設置とともに附属農場に改称。36年に農地造成が完成し、柑橘類など果樹栽培を主体とする農場にしている。

 弘一と有田ミカンとのかかわりは戦時中にさかのぼる。近大建学史料室発行の伝記「炎の人生」(田島一郎著)によると、国から果樹栽培農家が米作へと転作を迫られたことがあった。ただ、ミカン畑の段々畑は稲作には適さないうえ、米作の技術もなかったため栽培農家が弘一に相談した。

 折しも弘一は、東條英機内閣による露骨な選挙妨害で衆議院議員総選挙で落選しており、国会議員の政治力は使えなかったが、「ミカン栽培の実態も知らずに横暴だ」と和歌山県にねじ込み、転作を白紙撤回に追い込んでいる。

 同じく「炎の人生」によると、湯浅町に研究施設を設置したのは、ミカン王国を誇った和歌山が静岡県や愛媛県などの産地に押されていることに危機感を覚えた地元からの相談に応じたからだったという。

 湯浅町から10ヘクタールの土地の無償提供を受けたが、そこは雑木や雑草が生い茂る荒れたやせ地。このため弘一はブルドーザーやバック・ホー(穴掘り機)などでの土地造成を考え、当時は米国製しかなかったため、あちこち交渉して調達した。

 「私は貧乏で自分の金はないが、計画さえしっかりしておれば金などはどこからでも引き出せるから心配する必要はない」

 弘一は、農学部の教員に迎える研究者にはさまざまな分野の計画を積極的に進めることを求め、こう力説した。

 さらに土地造成に苦労する研究者たちをこう言って励ました。

 「恵まれた土地の好条件での成功はあたりまえだ。悪条件の土地でやってこそ研究だ」

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