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【歴史の転換点から】「本能寺の変」の真相に迫る(3)細川護熙氏「歴代当主は信長の恩感じてた」

「本能寺の変」から何を学ぶべきか

 『西郷南洲手抄言志録』。西郷隆盛が江戸時代後期を代表する儒学者、佐藤一斎の著作を抜き書きしたものですが、そこにこんな言葉があります。

 「政(まつりごと)を為すの著眼(ちゃくがん=着眼)は情の一字に在り。情に循(したご)うて以て情を治む、これを王道と謂(い)う」

 つまり、トップに立つ者には情がないとだめだということです。信長には、特にその晩年期にはそうした情が感じられないような話がたくさんあります。情に偏りすぎても困るけれども、「情に従ってもって情を治める」。中国の伝説の皇帝である堯・舜の政治や「三国志」で有名な劉備にしてもみんなやはり情があります。情というものが根底にないと、人はついてこないのです。

 また本能寺の変の前後に関しては、現代的なことばでいえば、信長という一人の天才に牽引された「織田政権」の安全保障、ひらたくいえば信長の身辺警護の点で明らかに問題がありました。最小限の軍勢で京都入りし、防御施設も貧弱、光秀以外の織田家の軍団長たちはみな地方に遠征しているか、遠征直前で、「いざ」というときに短時間で京に駆けつけられる援軍がいない…。信長は「いまどき自分に刃向かうものがいるわけない」と頭からたかをくくっていたのでしょう。油断があり、おごりもあったということです。

 逆に光秀にとっては千載一遇ともいえるチャンスでした。私見を述べますと、光秀については「変」を起こすだけの十分な理由-広い意味での怨恨-があったと考えています。

=(4)に続く)

※1、※2=本連載第2回参照。

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