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【歴史の転換点から】「本能寺の変」の真相に迫る(3)細川護熙氏「歴代当主は信長の恩感じてた」

細川家歴代に共通する信長への思い

 十数年前でしたか、細川家の菩提(ぼだい)寺だった泰勝寺跡(熊本市中央区)に建てられているご祠堂を点検したことがありました。歴代の先祖の位牌(いはい)がまつられており、「よほどのことがないかぎり、開扉してはならない」と父から伝えられていたのですが、当時は台風被害で雨漏りがしていたようでしたので…。ということで、扉を開けたところ、正面、その真ん中に信長の木像が鎮座していました。先祖の位牌よりも信長像を中心にしてまつられているのです。歴代の当主たちがいかに信長の恩を深く感じていたか…。本当に驚きました。

 ちなみに忠興は信長の小姓に取り立てられ、非常にかわいがられました。彼の初陣をたたえる信長直筆の書状が残されていますし、細川家の家紋「九曜(くよう)紋」は忠興が信長から拝領したものです。『細川家記』によりますと、信長の小刀の柄(つか)にあしらわれた九曜(1つの大円を8つの小円が囲んでいる形)の意匠をみた忠興が「これはすてきだ」と思って紋にして着物に縫い付けていたら信長に「よく似合っておる。今からそれをお前の家紋にせよ」と言われたということです。

 また幽斎は室町幕府第12代将軍、足利義晴の落胤(おとしだね)だった-と伝えられるほど、足利将軍家にゆかりがありました。その幽斎が擁した足利義昭を信長は征夷大将軍にし、最後は追放したものの、武家の棟梁(とうりょう)としては難のあった義昭を精一杯支えていた時期もありました。こうしたことが積み重なって、幽斎や忠興だけでなく後々の当主たちも、菩提寺のご祠堂の真ん中にまつるとともに、「信長公に対しては足を向けて寝られない」という共通した思いを抱いていたのではないでしょうか。

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