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【歴史の転換点から】「本能寺の変」の真相に迫る(3)細川護熙氏「歴代当主は信長の恩感じてた」

第79代内閣総理大臣として会見する細川護熙さん=1994年3月
第79代内閣総理大臣として会見する細川護熙さん=1994年3月
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 『永源師檀紀年録』によりますと、このとき、幽斎の次男、興元(おきもと)は「信長の悪逆無道は比類を絶している。それゆえ、光秀の手を借りて神明が織田家を罰したのだ」として光秀への加勢を主張した(※1)といいます。史実かどうかは別としてこの発言は正論だと考えています。

 私は信長のことは好きですが、「悪逆無道」は言い過ぎにしても、信長にはたいへん乱暴なところがあったことは確かです。ですので当時、幽斎は本当に難しい決断を迫られていたと思います。私が幽斎ならば、諸情勢や手持ちの情報を照らし合わせながら相当迷ったことでしょう。

 『細川家記』や『永源師檀紀年録』には、信長の「増長」に諌言(かんげん)を重ねる光秀に対して幽斎が心配のあまり、「あまり目立つことはしないほうがよい」と忠告したり、光秀が信長に対して怨恨(えんこん)や鬱屈した気持ちを抱いているのではないか、と幽斎自身も感じ、光秀の家来からも同様の理由から「教諭」するよう頼み込まれたため、何度か光秀と話をする-といった逸話が記載されています(※2)。

 個人的にはこうしたことはあっただろうと考えています。しかし、光秀が「親身な幽斎はおれの心をわかってくれている。だから信長を討っても味方してくれるはずだ」と考えたのならば、それは誤りです。幽斎は「上様(信長)を恨みに思ってはならないし、万が一にもおかしなことを考えるな。取り返しのつかないことになるぞ」ということを暗に知らしめるために光秀に再三面会を求めているわけですから…。本能寺の変を知って幽斎もまた、「光秀に裏切られた」と感じたことだったでしょう。

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