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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(5)

楠木正成の奉納とも伝わる国宝の「黒韋威矢筈札胴丸」。腰から下の草摺が8枚に分かれ、動きやすくなっている(春日大社提供)
楠木正成の奉納とも伝わる国宝の「黒韋威矢筈札胴丸」。腰から下の草摺が8枚に分かれ、動きやすくなっている(春日大社提供)
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 ■軽量化・費用削減 武具も革命

 千早城のあった金剛山の十数キロ西方に当たる天野山・金剛寺(大阪府河内長野市)。ここは、金剛山一帯で戦った楠木正成(くすのき・まさしげ)が頼みとした寺だ。神戸・湊川神社発行の『大楠公』には、鎌倉幕府の大軍を迎える前、正成が同寺に書状を送ったことが記されている。

 〈大楠公、金剛寺衆徒に牒(ちょう)し、幕府軍の侵入に備えしめ、かつ祈祷(きとう)を嘱(しょく)する〉

 記載内容から、金剛寺の経済力、軍事力に期待し、防戦を願ったことがうかがえる。同寺を統括する堀智真座主(ざす)は「正成は、(後に後醍醐天皇が南朝とする)吉野まで進まれないよう、河内で守り切りたいという意識が強かった」と語る。

 同寺には、楠木氏一族所用と伝わる甲冑(かっちゅう)類がまとまって残っている。腹巻20領などは重要文化財に指定され、甲冑研究史上、貴重な資料だ。

 腹巻、腹当、胴丸といった甲冑は、重厚で防御力の高い大鎧(よろい)とは違い、軽量で動きやすい。堀座主は「兵法を学んでいた正成は、地の利を生かせる賢い武士。配下の武士ともども、動きやすい甲冑を着け、奇襲戦法を繰り返したのでしょう」と推測する。

 正成の戦術の特徴について、帝塚山大の花田卓司准教授は「領地の争奪に付随する城郭戦の増加で、新たな主戦力となりつつあった歩兵を、騎兵との連携で有効に活用した」と分析する。『太平記』は、正成の千早城籠城の際、この時代に活躍し始めた「野伏(のぶし)」と呼ばれる歩兵が活躍したことを書く。

 〈案内者の野伏ども、所々のつまりつまりに待ち請(う)けて、討ち留めける間、日々夜々に、討たるる者数を知らず〉

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