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正成は観心寺で学び、金剛寺で祈願 河内長野は古い町並み、里山風景

日本遺産に認定された観心寺=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)
日本遺産に認定された観心寺=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)
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 文化庁から20日、新たに日本遺産に認定された大阪府河内長野市は、大阪・難波から南海高野線で30分圏内という都市近郊にありながら、南北朝時代の風景をとどめている。京都と高野山(和歌山県)を結ぶ「高野街道」の中間に位置し、楠木正成とゆかりが深い観心寺と金剛寺をはじめ、多くの歴史的遺産を今に伝えている。

 観心寺は大宝元(701)年、金剛寺は天平年間(729~749年)の草創と伝わる古刹(こさつ)。少年時代の正成は観心寺の支院「中院」で学問を修め、鎌倉幕府軍との戦いではたびたび金剛寺に戦勝祈願を依頼したという。

 中世には、両寺院とも朝廷との関係を強く築いたことから地域は繁栄し、社殿や仏像などが盛んに造られた。先の大戦でも戦災を免れ、市内には観心寺の「金堂」や金剛寺の「木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)」をはじめ8件の国宝、76件の国指定重要文化財がある。

 市内を通る高野街道は、空海が高野山を開いて以降、京や堺などをたった参詣者が皇族や公家、庶民といった身分を問わず行き交い、発展してきた。造り酒屋や宿場町跡などの古い町並みが今も残り、地元では毎年秋に「高野街道まつり」が開かれている。

 棚田も点在している。正成が築城した古城跡と伝わるエリアや、金剛寺がかつて寺領として支配した地域などにも里山の風景が広がり、散策スポットには事欠かない。

 市は昭和29年に6町村が合併し人口約3万1000人で発足。大阪のベッドタウンとして宅地開発が進んできたが、人口は平成12年2月の約12万3600人をピークに減少に転じた。今年4月末現在は約10万5300人まで落ち込んでいる。

 市は人口減対策として観光を重視。旅行者や短期滞在者による交流人口を増やし、雇用創出や定住につなげていく狙いがある。その原動力となる日本遺産の認定は大きな目標だった。

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