PR

ライフ ライフ

【話の肖像画】現役最年長サッカーライター・賀川浩(94)(10)FIFA会長賞を受賞

前のニュース

元日本代表監督の岡田武史氏(左)と =平成27年1月(山田喜貴撮影)
元日本代表監督の岡田武史氏(左)と =平成27年1月(山田喜貴撮影)

 〈日本は1998年フランス大会でワールドカップ(W杯)初出場。指揮した岡田武史は中学生のころから知っていた〉

 日本が出てくれるようになったおかげで、見る試合が増えた。昔のベルリン五輪(1936年)のころや、われわれが選手の時代は下手でもなんでも、これだけ練習しているんだから、練習量だけは相手に負けないという気持ちがあった。今はみんな世界が見えているからね。力量差が初めから分かっている。力の差があるのは仕方ないが、活気がないといけないよね。岡田とは何か縁があってね。中学生のときに「サッカー留学したい」というので西梅田にあった産経新聞大阪本社の喫茶店で会った。「頭脳を使うスポーツだから、勉強も大切だよ」とアドバイスした。

 〈最後にW杯を現地で観戦したのは2014年のブラジル大会。日本は期待が大きかったが1勝も挙げられなかった〉

 以前から(サッカー解説者の)セルジオ越後に「自分の母国だから、じっくり見てもらわないと」と誘われていた。日本の試合も記者席で見た。選手には自信がないように感じた。グラウンドに出てくるときに「さあやるぞ」というのが分かるもんだけどね。あのときはあんまりなかった。

 〈ブラジルW杯では最年長サッカーライターとして注目された。国際サッカー連盟(FIFA)の公式サイトで取り上げられ、会長賞を受賞するきっかけにもなった〉

 大会では、世界の広さとかブラジルの広さを感じた。赤道に近いところから日本の気候とあんまり変わらないところまで、いろんなところでサッカーをしている。(サッカーの王様といわれる)ペレの時代からひとくくりにされてきたが、ブラジルのサッカーにもいろいろある。それが新しい発見だった。翌年にもらったFIFAの会長賞にはびっくりしたね。「賞をやるから表彰式に出てこい」という連絡があって、「なんやこれ」という感じだった。会長だったブラッターは1979年のワールドユースの時に話をした仲。僕が英語の通訳をしたこともある。

 〈日本サッカー界の発展に努めてきた先人たちの事績を発掘してきた。自身にとってサッカーの記事を書く仕事とは〉

 サッカーを見たり、読んだり、話を聞いたり。それを人に伝えるのは、自分にとって一番楽しい仕事だった。古い先輩には仲良くさせてもらった。(1936年のベルリンオリンピックに出場し、関西サッカー協会の理事長などを務めた)川本泰三さんと知り合いということで、その世代の人たちにもかわいがられた。昔の人のことは多少は書いてきたつもりやけど、あちこちに書き散らしている。令和(れいわ)になって世の中変わるから、まとめるか最初から書くかしないとね。昔の仲間が「天国にぼつぼつ来い」と言うとるかもしれん。「あんまりそんなとこで遊んでいるんやのうて」って。でもやることがある。こんなことを言うてたら死なれへんな。(聞き手 北川信行)

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ