PR

ライフ ライフ

【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(3) 周到な籠城 合理的な戦略

金剛山の中腹、千早城跡に立つ碑。傍らには、幕府軍を翻弄した藁の人形が復元されている=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)
金剛山の中腹、千早城跡に立つ碑。傍らには、幕府軍を翻弄した藁の人形が復元されている=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)
その他の写真を見る(1/2枚)

 「楠公飯(なんこうめし)」

 3年前にヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」に、こう名付けられたご飯が登場する。第二次大戦下の広島・呉に嫁いだ少女が、食糧事情が悪くなる中で作るのが楠公飯だ。

 楠木正成(くすのき・まさしげ)が考案したとされ、炒(い)った玄米を3倍の水に一晩浸(つ)けて炊く。玄米が膨らんで量は増えるが、味は不評だったようだ。映画では「あれを喜んで召し上がる楠木公という人はほんまの豪傑なんじゃろうねぇ」と主人公の家族もぽつりと言う。

 「忠臣・正成の精神にあやかろうとしたのでしょう。民間で推奨されはしましたが、栄養価やカロリーが変わるわけではなく、あまり普及しませんでした」

 戦時下の暮らしに詳しい埼玉大の一ノ瀬俊也教授はそう指摘する。

 楠公飯を考案したのが正成か、それを裏付ける史料はない。とはいえ、千早城(大阪府千早赤阪村)で約100日に及ぶ籠城戦に耐え抜いた正成に、後世の人がイメージを重ねて楠公飯と名付けたとしても不思議ではない。

 正成は千早城で、巨石や材木を落とす▽藁(わら)の人形を兵に仕立てる▽ポンプで油を撒(ま)いて応戦-と、独創的な戦法を繰り広げた。

 <わづかに千人に足らぬ小勢(こぜい)にて、誰(たれ)を憑(たの)み、何を待つとしもなく、城中にこらへて防き戦ひける、楠(くすのき)が心の程こそ不思議なれ>

 援軍もなく先の見えない中、千人足らずで鎌倉幕府の大軍を相手に持ちこたえた正成は大胆不敵だ、と『太平記』は書く。

 下赤坂城(同)で自害を装って行方をくらませた正成が、再び歴史の表舞台に姿を現すのは元弘(げんこう)2(1332)年11月ごろ。共に姿を隠した盟友・大塔宮(おおとうのみや)護良(もりよし)親王は一足早く、同年6月に倒幕運動に再参戦している。それに比べると5カ月遅い。千早城の完成はもちろん、籠城に備えて米の収穫期を待っていたのではないかとも推測できる。

 <米粟三万石、大豆二千余石、塩五百石、その他干し魚、海藻の類数知れず貯蔵>

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ