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【話の肖像画】現役最年長サッカーライター・賀川浩(94)(9)マラドーナから釜本まで

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昭和54年、ワールドユースで来日したマラドーナ(左)と握手する。多くの名選手を取材した
昭和54年、ワールドユースで来日したマラドーナ(左)と握手する。多くの名選手を取材した

 〈ヨハン・クライフやディエゴ・マラドーナ、フランツ・ベッケンバウアー…。時代を彩ってきた名選手やスター選手を数多く取材してきた〉

 マラドーナは1979年のワールドユースで来日したときに会った。インタビューもした。それまでにも南米の選手を数多くみてきたが、マラドーナは別格だった。全速力で走りながら、ワンバウンドしたボールをポンと足元に納める。相当なスピードで走りながら、柔らかいタッチでボールを自分のものにできる。ほとんど左足で触るんだけど、キックが多彩だった。欧州の選手でいえば、クライフとベッケンバウアー。マラドーナが出てきたときにクライフはよく比較された。マラドーナほど足首でいろんなことができる選手じゃなかったが、体が大きいしね。ストライドも大きいから、ボールを動かすことによってパスのコースをいくつも余分に持てる選手だったね。米国でプレーしているのを見たときには、利き足の右足をけがしていた。でも、左足だけですごくうまかった。マラドーナとどっちが上というのは言えない。2人に比べてベッケンバウアーは華やかじゃないけどね。いつのW杯のときか忘れたが、欧州の記者と議論になったことがある。僕が「ベッケンバウアーの方がプレーヤーとして上だとは言えないが、チーム全体への影響力でいえば、クライフよりも数段上だ」と解説したら、感心しとった。

 〈メキシコ五輪で活躍した釜本邦茂は少年のころから知っている。日本のサッカーを背負って立つ人物として期待してきた〉

 釜本はね、高校生のときから見ているんだよ。(神戸一中で後輩だった)岩谷俊夫があるとき、「一人見てもらいたい選手がいるんだ」と。西宮のグラウンドでの第一印象は「へえー、こんな選手が日本にもいるんだ」。大きな体で柔らかいボールの受け方ができていた。岩谷と2人で「1964年の東京五輪に間に合うかどうかだね」と話し合ったのを覚えている。結局出場したけど、まだ早大生だったしね。釜本はボールを蹴ってゴールに入れることの好きな選手でね。自分でひとつずつ技術を磨き上げていきましたよ。ドイツに留学した時期があってね。(指導者として有名な)デットマール・クラマーからも細かい指導をしてもらったわけじゃない。留学中に試合をいっぱい見てね、ドイツの若いBクラスの選手と一緒に試合形式の練習をしたわけですよ。相手も若手なので、日本人だからといっても容赦しない。うっかりしているとボールに触らせてもらえないし、詰めてくるのも早いし。いやでもボールを止めるのが慎重になる。釜本が帰国してからの変わりぶりにびっくりした。不思議なもんやねえ。彼を欧州に出すときにね、(日本代表監督だった)長沼健と「釜本がものになったらええけどな」という話をした。日本サッカー界のみんなが、釜本を欧州に行かせることに懸けていたんですよ。(聞き手 北川信行)

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