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【お城探偵】千田嘉博 石垣修理・弘前城 令和時代の城跡整備をひらく

 ただ、それだけでは大きな地震に耐えきれない。そこで石垣の背後に「ジオテキスタイル」と呼ぶ網状のシートを敷設して、石垣の強度を高める現代工法を応用するようになってきた。弘前城でも必要に応じて取り入れる予定である。

 そして、弘前城では石垣修理の完了後に改めて、重要文化財の天守を天守台石垣の上に戻す。ジオテキスタイル工法などで補強した上で、万が一の大地震に天守台石垣が耐えきれず崩壊したとしても、その上に建つ天守は石垣から崩落しないようにしなくてはならない。そこで天守台石垣の中に、天守の基礎になるくいを設置するなどの補強策も議論している。

 これまでの城跡整備では、石垣の内部構造を破壊するので、石垣内にくいを打つのは許可されなかったが、城跡の歴史的価値と安心・安全を高度に調和させるのが時代の要請である。弘前城がどうするかは、熊本城をはじめとする全国の城跡の復興や整備の手本になる。だから弘前城の整備の行方は、令和時代の城跡整備のあり方を決める、重要な意味を持っている。(城郭考古学者 千田嘉博)

     ◇

【用語解説】弘前城

 青森県津軽地方を治めた津軽家初代、為信が1603(慶長8)年から城下町を整備。息子の信枚(のぶひら)が11(同16)年に完成させた。5層の天守があったが1627(寛永4)年に落雷で焼失。3層の現天守は1810(文化7)年に幕府の許可を得て、「櫓(やぐら)」として新造したもの。大手筋(正面)側から見える東、南面は切妻(きりづま)屋根や出窓を設け華美な印象を与える一方、裏側の西、北面は装飾が一切ない、簡素な造りになっている。

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