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【お城探偵】千田嘉博 石垣修理・弘前城 令和時代の城跡整備をひらく

修復のため、解体される天守台の石垣。奥に見えるのは「曳屋」によって本丸中心部に移された天守 (いずれも筆者撮影)
修復のため、解体される天守台の石垣。奥に見えるのは「曳屋」によって本丸中心部に移された天守 (いずれも筆者撮影)
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 青森県弘前(ひろさき)市の弘前城を4月半ばに訪ねた。弘前城は桜の名所として名高いが、時期が早く一輪も咲いていなかった。「花見」のために弘前城を訪ねていたら失意のどん底に落ちたのだが、幸い弘前城の石垣修理と史跡整備のための訪問だった。だから心持ちとしてはともかく、花も葉もなく石垣をよく見通せる状況は、「城見」には最適であった。

 弘前城は天守台と本丸石垣の変形が著しかった。文化財としての石垣と天守を守り、安全に活用するため2013(平成25)年から発掘を行い、15(同27)年に重要文化財の天守を、建物を解体せずにそのままの状態で移動する「曳屋(ひきや)」という工法で本丸中心部に移した。16(同28)年から始まった石垣の解体は現在ほぼ終わり、積み直しに移るところである。

 解体が終わったら石垣をすぐに積み直せばよい、と思われるに違いない。しかし文化財としての石垣修理は複雑な手順を踏む。修理前の石垣は変形していたので、積み直すときには、変形していない本来の石垣の姿に戻す。そのためには発掘成果や古文書・絵図、古写真を総動員して分析し、すでに失われた石垣の積み方や、勾配を見つけ出す必要がある。だから工事機器がどれだけ発達しても、文化財としての地道な研究が大切になる。

 さて、従来の石垣修理の議論は、およそここまででよかった。しかし、11(同23)年の東日本大震災、16年の熊本地震を経て、石垣修理の考え方は大きく変わった。歴史に忠実に石垣を修理するのは当然として、地震に耐え、見学者の安全を守る石垣に修理することが求められるようになった。

 日本の文化財としての石垣は石を積み上げただけで、石同士を接着しなかった。そのため、剛構造に見えて、実は柔構造だった。地震の震動を受けたとき、石垣を構成した石と石がわずかに動いて石積みが変形し、地震の力を受け流すことで全体の崩落を防ぐ先人の知恵であった。

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