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【話の肖像画】現役最年長サッカーライター・賀川浩(94)(5)風来坊から新聞記者に

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彫刻家となる流政之氏(後列中央)と親交を深めた
彫刻家となる流政之氏(後列中央)と親交を深めた

 〈朝鮮半島で終戦を迎え、復員したのは山口県の仙崎港。生まれ育った神戸の街は空襲で焼け、家族は京都に疎開していた〉

 韓国・釜山との間に航路があった福岡の沖には機雷が残っていて危ないということで、仙崎港に戻ってきた。貨車が走っていたから、飛び乗って京都に向かったんですよ。神戸の家が焼けているというのは聞いていた。だから、京都の親族のところに身を寄せた。家族はみんな無事。海軍に入って零戦に乗っていた兄貴も生き残り、帰ってきた。傑作だったのは、親しくしていた兄の同級生からはがきがきて、「お前も生きとったらしいな。西宮でボールを蹴るから、バッグを持ってこい」と書いてあったこと。おふくろは僕の本とサッカーの道具だけは疎開させていた。だから、その年の秋に仲間で集まってボールを蹴った。

 〈阪神間は昭和20年3月17日と6月5日の大空襲で焼け野原になった〉

 おふくろと妹は京都に疎開していた。少年時代を過ごした家は今の神戸市中央区熊内(くもち)橋通にあった。復員後に焼け跡を見にいくと、コンクリートの柱が2本だけ残っていた。「ひどいもんやなあ」と思いましたね。見渡す限りの焼け野原。神戸の街は何もなくなっていた。

 〈戦後すぐに大学の予科を退学。サッカー選手を続ける気はなかった〉

 このままだと、またサッカーにのめり込むことになると思ったから。予科の途中で退学するというのは、何にも残らないわけですよ。おふくろからは「草履を脱ぎ捨てるように、そんなむちゃなことがありますか」と叱られましたね。それでも京都でいろんなことをして、(天皇杯で準優勝する)大阪クラブでも蹴るようになった。サッカーからは離れられませんでしたね。

 〈そこから新聞記者に転身した〉

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