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【朝晴れエッセー】あのときの「ノート」・5月11日

 長男の私は、家への仕送りが必要だった。中学2年のときには、すでに新聞専売所に下宿していた。給料を送金するときの、母の安堵(あんど)する顔を思い浮かべることが、私の幸せだった。

 生活のすべてに困窮していた。たった一つだけ満たされていたのは「紙」だった。新聞店には広告紙配達の依頼が絶え間なくある。これがうれしかった。広告紙裏面に白いものがあれば店主に頼み、いつも50枚ほどは分けてもらった。綴(と)じてノートの代用品とし、全部の学科が広告紙の裏だった。紙質も鉛筆の滑りも悪く、でも贅沢(ぜいたく)を言うことはなかった。

 2年生の7月、定期試験が終わってすぐに、体育の先生から全員に「ノート」の提出を求められた。広告紙の裏をノート代わりにしている私は思わず体が震えた。誰にも知られたくない貧しさの秘密だった。提出は恥のさらし者になる。何の名案もない。覚悟し職員室にそのノートを持参して、先生に一切の事情を打ち明けた。無言で聞いてくれた。悔しさと異常な羞恥心(しゅうちしん)で涙したあの日。

 後日、ノートの返却があった。私の「ノート」は新品のバインダーに綴じられて、3冊の真新しいノートが入れてあった。「整然としています」と採点記載があり、最後に「絶対に負けるな!」と力強い大きな文字が記されていた。その用紙は今も手元にある。

 3冊のノートはあまりにも貴重で使用できず、一緒に人生を歩んできた。大切な宝物となった。生涯忘れられぬ先生との出会いがあった。

臼木 巍 74 会社経営 愛知県武豊町

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