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【話の肖像画】現役最年長サッカーライター・賀川浩(94)(3)マネジャーから選手へ

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神戸一中の選手として活躍した賀川浩氏(上)。下は1年下の岩谷俊夫氏 
神戸一中の選手として活躍した賀川浩氏(上)。下は1年下の岩谷俊夫氏 

 〈念願の神戸一中(現神戸高)に進学。だが、入学しても、すぐにはサッカー部に入らなかった〉

 兄貴もいることだし、当然「入るか」となるが、体も小さかったし、気が進まなかった。家でシェパードを飼っていてね。訓練士が近くの布引山(ぬのびきやま)に連れて行ってしつけていた。それに付いていくのが好きだった。小学生の時には犬小屋で一緒に寝ていたほど。神戸一中に入った時には、おやじに「入学祝いとして日本犬を買ってほしい」とねだった。それで、日本犬も飼うことになった。自分で言い出したわけだし、世話もあってね。運動部に入ろうとは思っていなかった。

 〈かなりの犬好き。だが、転機が訪れる。それがサッカーの道に進ませた〉

 僕は子供のころから一生懸命になるたちでもなかったし、辛抱がなくてね。嫌なことがあると、周りに当たり散らしたりしていた。それが、犬と一緒にいると辛抱が必要でしょ。それで成長した部分もある。だけど、中学2年のときに日本犬が死んで、はかなさを感じるようになってね。3年生になったときに、何かしようと。入るんやったら、サッカーしかないと思ってね。兄貴はキャプテンをやっていた。兄貴の友達がマネジャーをしていて「浩はちっちゃいから、練習するより俺の下でいろいろやってくれ」と言われたんや。僕も兄貴のために何かできればええわと思ってね。それでサブマネジャーということになった。

 〈裏方の仕事を続ける日々が続いた〉

 練習に加わらずに雑用をし、みんなが個人練習をしている間は何もすることがなくてね。ゴールキーパーの補欠相手にボールを蹴るのが日課になった。それが後に選手になったときに役に立った。1人あたり50本ずつで、1日100本ゴールに向かってシュートを打っていた。結果的に誰よりもたくさんシュートの練習していたことになる。そのときには気づかなかったけどね。

 〈神戸一中は全国に名だたる強豪。思いがけず、マネジャーから選手になった〉

 兄貴は3年生でレギュラーで試合に出て、全国大会準優勝。4年のときは優勝。キャプテンだった5年は神宮大会で優勝。運もあったし、実力もあった。僕が4年の時は弱くて予選で負けた。悔しくてね。5年になってマネジャーとして練習計画から何から全部つくって猛練習を課した。それが、大会前になってフォワードが1人足りないということになった。1学年下の岩谷俊夫が「浩ちゃん、僕らが助けるから選手として試合に出てくれ」って言うんだ。

 〈岩谷は毎日新聞の記者になる人物。他にも日本代表入りする鴇田(ときた)正憲らそうそうたるメンバーがそろっていた〉

 僕は「マネジャーとして偉そうに接してきたのに、今さら恥をかくのは嫌や」と言うたんや。だけど「自身の人生のために出てくれ」って。うまいわなあ。初出場した試合で点が入った。そこから選手になってしもうたんですわ。(聞き手 北川信行)

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