PR

ライフ ライフ

【話の肖像画】現役最年長サッカーライター・賀川浩(94)(2)

前のニュース

書道の全国大会で2位になった兄の賀川太郎氏(左から2人目)。右端が浩氏、左端は父の陸蔵氏
書道の全国大会で2位になった兄の賀川太郎氏(左から2人目)。右端が浩氏、左端は父の陸蔵氏

■激動の時代を偉大な兄と

 〈神戸生まれ、神戸育ち。激動の昭和初期に子供時代を過ごした〉

 覚えているのは「二・二六事件」のあった昭和11年。夏にベルリンでオリンピックが開かれた。サッカーで日本が勝ったとか負けたとかは、あんまり関心もなかった。うちは典型的な中産階級で、おやじは貿易会社に勤めていた。電蓄というのがあってね。電気蓄音機のことなんだけど、それにラジオも付いていた。そこで「前畑ガンバレ」の実況を聞いた記憶がある。

 〈サッカーに携わるようになったのは、後に日本代表となって殿堂入りも果たした2歳年上の兄、賀川太郎の存在も大きい。どんな兄弟だった〉

 兄貴は昔から優等生で、何をやってもうまかった。一緒にスケート場に行って、ちょっと滑ったら場長が飛んできた。「週に何回かよこしてくれたらオリンピック選手にしますよ」と言うたぐらい。野球でも小学生のときに投手で地域の大会に出て、三振奪取王になった。書道でも全国の大会で第2位になったことがある。何をやっても向こうの方が上だった。

 〈その兄と同じ道を歩んで神戸一中(現神戸高)に進学することになる〉

 兄貴は神戸一中を受験して当たり前のように通った。僕はそんなに成績は良くなかった。でも、初めて先生の指導力というのを子供ながらに感じたことがあってね。別勉強というのがあって、小学校の先生が自分のクラスの子供の家に行って家庭教師になるわけにはいかないから、(先生が)友達に教師を頼んだりしていた。うちに来た人の教え方がうまくてね。自分で勉強がどんどん身についていくのが分かった。それが後年、僕がサッカーを教えていく上でのヒントになった部分がある。

 〈隣の家が2階を間貸ししていて、神戸一中のサッカー部長だった河本(かわもと)春男が住んでいた。神戸の製菓会社「ユーハイム」の社長になる人物。そこから、賀川家とサッカーとの関わりが生まれた〉

 河本先生はサッカー部の悪ガキ2人を預かって自炊をしながら生活していた。隣の家に独身の先生が中学生と一緒にいるということで、世話好きなおふくろがおかずを差し入れたりしていたんやろうな。河本先生がうちに遊びに来て、サッカーの話をおやじとするようになった。

 〈運動神経抜群だった兄の太郎は争奪戦の末に神戸一中サッカー部に入った〉

 兄貴を最初に狙ったのは野球部。それをサッカー部が追い返して自分たちの部に入れた。本人は野球の方が好きやったらしいけどね。当時のキャプテンが大谷四郎。後に朝日新聞の記者となる。4月に招待試合というのが東大阪の花園であった。神戸一中は土地勘がないから、おやじが取引先の関係から宿舎を斡旋(あっせん)した。兄貴は1年生だから、試合に出ていなかったけど、おやじがのめり込むようになってね。僕もそのときに初めてスタジアムで試合を見たんですよ。(聞き手 北川信行)

次のニュース

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ