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【令和に寄せて】生者と死者を繋ぐ万世一系 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

 現世に生きる者が生者である。生者を生み育んだもののほとんどが死者である。私の祖父母も父母もとうに死んでいる。生者は死者があって初めて生者なのだ。そして生者は間もなく死者の仲間に入っていく。

 生者の一人一人は「個人」(individual)と呼ばれる。神や社会に対する究極的な存在として、もうこれ以上は細分化(divide)できない唯一の存在が個人だと考えられている。わが国の憲法でも「すべて国民は、個人として尊重される」とある。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するとも記される。夫婦は独立した個人の結びつきであり、共同体の基層をなす家族の形成主体だとは観念されていない。

 その上、個人の自由や権利は国家の権力に優越するというわが国固有の「立憲主義」なる思想が、アカデミズムやジャーナリズムを闊歩(かっぽ)している。

 現世を構成しているものが生者だけだという思想は、無数の死者たちが織り紡いできた歴史と伝統を軽視する風潮となってあらわれ、川面を漂う木の葉のような不安定な社会へと日本を誘(いざな)う。伝統から解放されて自由を与えられた個人が、寄る辺のない不安と孤立と無力感に苛(さいな)まれ、ついには自由を放擲(ほうてき)して権威主義へと逃げ込む人間性の背理は、新フロイト派のエーリッヒ・フロムによってつとに鋭く分析されている。

 現世を構成しているものが生者だけだというのは、錯誤の思想である。逆説と諧謔(かいぎゃく)をもってこのことを語ったのは、英国の思想家ギルバート・チェスタトンである。主張はまことにラジカルである。ラジカルの原義は「根源的」である。

 「単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈服することを許さない。あらゆる民主主義者は、いかなる人間といえども単に出生の偶然によって権利を奪われてはならぬと主張する。伝統は、いかなる人間といえども死の偶然によって権利を奪われてはならぬと主張する。…われわれは死者を会議に招かねばならない」(『正統とは何か』安西徹雄訳)

 チェスタトンは伝統とは「過去の平凡な人間共通の輿(よ)論」であり、民主主義とは「あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えること」、つまりは「死者の民主主義」だという。

 氏の「現世中心主義」への嫌悪は、いかにも徹底的である。幾世代にもわたり「民草」が共通に感じ、共通に考えてきたことが伝統であり、死せる者の発する声に耳を傾けて現世の政治的決定がなされねばならない、と氏は主張する。

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