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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(1)「打算で生きず」呼び覚ます菊水

菊水の紋(湊川神社提供)
菊水の紋(湊川神社提供)
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 南北朝時代の武将、楠木正成(くすのき・まさしげ)の家紋として知られる「菊水(きくすい)の紋」。忠誠を誓った後醍醐(ごだいご)天皇から賜(たまわ)ったものとされ、天皇家の紋章に用いられている菊に、流れる水をあしらった、しゃれたデザインをしている。

 家紋は、識字率の低かったこの時代、誰もが一目で見分けることができるシンボルマークで、戦場では敵味方を識別する重要な役割を果たした。『太平記』では、湊川で足利直義(ただよし)の軍勢が菊水の旗を見て目前の敵を正成と知り、勇んだことが書かれている。

 〈左馬頭(さまのかみ)直義の兵ども、菊水の旗に見合ふ(出くわす)を幸ひの敵と思ひければ、取り籠(こ)めて討たんと駆け合はせ、思ひ思ひに揉(も)み(激しく攻めた)けれども、正成は元来(もとより)名士(評判の勇士)なれば、小勢なれども、ちとも漂はず(ひるまず)〉

 正成が奉納したとされる「菊水の旌旗(せいき)」が信貴山(しぎさん)朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)(奈良県平群(へぐり)町)に残っている。縦約1メートル、幅約30センチの白い絹地で、墨塗りの菊水の紋様と奉納された日付、正成の花押が今でもくっきり浮かぶ。正成の手書きとされる菊水は、その後に丸に近い形に整えられた家紋のデザインとは異なり、菊と水の流れが絵画のように流麗に描かれている。

 「変幻自在な正成の戦いぶりを表しているようです」と、平群町教委の葛本隆将(たかゆき)学芸員は話す。

 旌旗にある奉納日は元弘元(1331)年9月10日。後醍醐天皇が正成を召し出して鎌倉幕府打倒の挙兵を託したのが同年8月下旬、正成が赤坂城(大阪)で挙兵したのが同年9月中旬だから、旌旗は正成が挙兵直前に倒幕の成功を祈って納めたと解釈される。

 旌旗を収蔵する同寺霊宝館の木村瑛常(えいじょう)さんは「旌旗には倒幕という、後醍醐天皇の困難で大きな目標を支えたいという正成の忠誠心が込められているようです」と話す。

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