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教え子記者が語る「小出監督は走ることが本当に好きだった」 外信部編集委員・水沼啓子

アテネ五輪マラソン代表の落選会見を行う女子マラソンの高橋尚子選手(左)と小出義雄監督=平成16年3月15日、東京都港区の赤坂プリンスホテル
アテネ五輪マラソン代表の落選会見を行う女子マラソンの高橋尚子選手(左)と小出義雄監督=平成16年3月15日、東京都港区の赤坂プリンスホテル

 小出義雄監督は、私にとっては千葉県立佐倉高校3年生のときの担任であり、陸上部の顧問だった。監督というより、「小出先生」と呼んだほうがしっくりいく。佐倉高校といえばプロ野球巨人軍の長嶋茂雄元監督の出身校で地元では一応、進学校として知られていたが、3年生のときに小出先生から進路指導を受けた記憶がない。

 高校時代の小出先生の思い出といえば、陸上部員に交じって、生き生きとした表情で走っている姿だ。部員を怒鳴りつけている姿は一度も見たことがない。授業が終わると、近くの名門ゴルフ場を借りて、生徒と10キロとかよく走っていた。先生は順天堂大学時代、箱根駅伝に出場したこともあり、走ることが本当に好きだった。

 高校卒業後、小出先生とは音信不通になっていたが、先生に再会したのは2002年1月の大阪国際女子マラソン大会の会場だった。産経新聞が主催するマラソン大会で当時、私は事務方の仕事をしていた。会場にいた小出先生に声をかけると、20年もたっていたのに「おお、水沼」となんと名前を覚えておられた。

 その後、再び小出先生に会う機会があった。アテネ五輪の女子マラソン代表選考で、シドニー五輪の金メダリスト、高橋尚子選手が落選したとき、先生にインタビューしたことがある。当時、高橋選手は小出監督が代表取締役を務める佐倉アスリート倶楽部で監督の指導を受けていた。

 根っからの酒好きで、代表選考当日も「あの日はまさか落選するなんて思っていないから、ホテルで昼ごろからビールやら焼酎で祝杯をあげていたんだ」と話していた。

 小出先生といえば豪放磊落(らいらく)のイメージが強いが、選手の心情にも思いを寄せる、そんな優しさも備えた先生だった。落選後に行われた記者会見のとき、悔しかったはずなのに、高橋選手は一度も涙を見せなかった。先生にそのときの高橋選手の胸の内を聞いたら、こんなエピソードを話していた。

 「本当は涙を流したかったと思うよ。あの姿がいじらしくてね。会見で一度だけQちゃん(高橋選手)が天井を見上げたでしょう。後で『あのとき涙が出そうになったんで上を向いた』って言ってたよ」

 4年前、高校卒業後初めて行われた佐倉高校35期生の同窓会で先生の元気そうな姿をみたのが最後となってしまった。来年3月には、また35期生の同窓会が予定されていたのに、その会場に先生はいないのだな…。(外信部編集委員 水沼啓子)

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