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【夜間中学はいま】(5)戦災孤児 喜びの涙も覚えた

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「夜間中学で人生を取り戻した」と話す村上玉子さん(左から2人目)。今も識字教室で学び続ける=神戸市の湊川高校内(安元雄太撮影)
「夜間中学で人生を取り戻した」と話す村上玉子さん(左から2人目)。今も識字教室で学び続ける=神戸市の湊川高校内(安元雄太撮影)

 夜間中学は、戦争や貧困などで義務教育を受けられなかった人たちのために設けられた。神戸市立丸山中学校西野分校の卒業生、村上玉子さん(77)=兵庫県姫路市=は、夜間中学の原点を体現する一人だ。物心ついた頃には両親はおらず、名前も知らない。他人の家を転々と渡り歩き、そこで子守をしながら暮らした。戦災孤児だった。

針のむしろ

 終戦時は4歳だったらしい。近所の子供の体格と比較して「だいたいこのくらいの年頃やろう」と生年月日を決められたので、本当の年齢は分からない。

 6歳の頃から子守を始めた。10歳のとき、世話係だった子供の忘れ物を届けに小学校へ行くと、教室の黒板には絵とひらがなが書かれていた。「はと」「つばめ」の文字を知った。買い物に行けば、商品札の「ほうれんそう」や「ちくわ」などの文字を目に焼きつけた。書くことはできなかったが、生活に密着した言葉は何とか読めた。ランドセルを背負って登校する子供たちがうらやましかったが、「食べさせてもらっている身。学校に行かせてほしいとはとても言えません。夢には見ても、無縁のところだと思っていました」と振り返る。

 読み書きができないことで味わった「針のむしろ」は数え切れない。役所で書類に記入できず、職員には代書を断られた。仕方なく近所の人に頼みに行くと、中には「こんなんも書かれへんの」と笑う人もいた。

 23歳で結婚し、一男一女をもうけた。長女が幼稚園に入ると、積み木やおはじきなどの持ち物に名前を書くように言われた。困っていると、入園前にすでにひらがなを覚えていた長女は「うちが書くから心配せんでええよ」と二日がかりで書き終えた。疲れて寝る娘の姿に「情けない母親でごめんな」と涙がこぼれた。長男が小学校に入ると、担任とやり取りする連絡帳も姉である長女が記入した。

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