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大宰府政庁跡 時を越え「西の都」再び光

大宰府政庁跡は現在、史跡公園として整備されているが、往時には正殿や回廊などがあったと考えられている =福岡県太宰府市
大宰府政庁跡は現在、史跡公園として整備されているが、往時には正殿や回廊などがあったと考えられている =福岡県太宰府市

 山の上から、新元号「令和」ゆかりの地、福岡県太宰府市を見渡す。古代に九州を管轄する地方最大の役所だった大宰府政庁跡はきれいな長方形をとどめ、芝生の上で花見客がくつろいでいた。

 大宰府は東アジアとの外交や貿易、軍事防衛の拠点を担った。政庁を中心に、人と物と文化が交流する国際色豊かな「西の都」として栄えた。

 天平2(730)年、大宰府の長官だった大伴旅人は、そんな華やかな空気のなかで梅の花をテーマに歌会「梅花の宴」を催す。

 令和の由来となった万葉集の序文は宴を詠んだ歌に添えられたものだ。

 政庁跡にある「大宰府展示館」の学芸員、井上理香さんは「旅人は大陸文化を象徴する梅の花を題材にすることで、自分たちを教養ある進歩的な人間だと誇っていたようです」と指摘する。

 大宰府の終焉(しゅうえん)は明らかではない。

 井上さんは、「律令国家から武士の時代に移るなかで、衰退していったとみられます。しかし、その後も『この地では木を切るな、穴を掘るな』と伝わり、検証されたり忘れられたりと浮き沈みがありながらも、特別な場所として地元の人に大切にされてきました」と話す。

 1300年の時を越えて西の都に再び光が当たっている。(写真報道局 松本健吾)

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