PR

ライフ ライフ

【本郷和人の日本史ナナメ読み】新元号をめぐって(下)梅と桜と松、植物の好みと時代

契沖、賀茂真淵、本居宣長対座画像(模本、東大史料編纂所蔵)
契沖、賀茂真淵、本居宣長対座画像(模本、東大史料編纂所蔵)

 先週の土曜日、上野の山で花見をしてきました。その1週前の土日が見頃といわれていましたが、まだまだとてもきれいでした。散り始めの頃はピンク色が濃くなるのだ、と友人が言っていましたが、本当かな? というわけで、今回は桜についてです。

 慶応3(1867)年、江戸幕府は「大政」すなわち国家を統治する権限を朝廷に返上しました。いわゆる大政奉還です。土佐藩(山内家)や安芸藩(浅野家)からの勧告を受けた最後の将軍、徳川慶喜は同年10月12日に二条城で老中以下に大政奉還の決意を伝え、翌日に諸藩にこの旨を通達、14日に朝廷に上表文を差し出し、15日朝廷はこれを許可しました。幕府はこれで歴史的な使命を終えたのです。

 よく日本史教科書に載っている絵は、二条城の御殿で慶喜が幕府重臣らに奉還の意思を伝達している12日の場面ですが、先日この広間の周辺を見学する貴重な機会を得ました。ふすまには狩野派の手になる雄渾(ゆうこん)な松の絵があり、また併せて眼光鋭い鷹が描写されます。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら天下人が鷹狩りを好んだのは有名ですが、それを思ったときに、ふと疑問が脳裏をよぎったのです。日本人がこよなく愛する花といえば、いうまでもなく桜です。それなのに、城の広間にはなぜ桜でなく、往々にして松が描かれるのか。

 高校の古文の時間で習いました。中国文化の影響が強かった古代で単に「花」といえば、梅の花を指す。新元号「令和」も『万葉集』の梅花の宴にまつわる部分が典拠でしたね。漢文学に造詣が深かった菅原道真は「東風(こち)ふかば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠んだように平素から梅の花を愛し、それゆえに北野天満宮や太宰府天満宮には梅が多く植えられています。これに対し、国風文化が育った平安時代中期以降で「花」と記したときには桜の花を意味します。満開の桜は、しばらくして風が吹くと、瞬時に花を散らせる。そのはかなさ、潔さが日本人のこころにぴたりとはまる、と説明されます。

続きを読む

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ