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【話の肖像画】元日銀副総裁・ジャーナリスト 藤原作弥(82)(9)悔し涙を見せた「李香蘭」

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 平成10年に日銀の副総裁を拝命して、首相官邸に橋本龍太郎首相(当時)を訪問したとき、「何だ、藤原さんて、キミのことだったのか」と驚かれました。橋本さんとは同世代、『李香蘭(り・こうらん) 私の半生』(昭和62年、山口=本名・大鷹(おおたか)=淑子(よしこ)さんとの共著)を読んでくださっていて、その著者である「藤原」と時事通信解説委員長の「藤原」が同一人物だとは、ご存じなかったそうです。

 《同書は、戦前・戦中と、満映(満洲映画協会)の大スター、「中国人・李香蘭」として、映画や歌で大活躍した大鷹さん(元参院議員、平成26年、94歳で死去)の激動の生涯を描いたノンフィクション。文庫を含めて、30万部を超えるベストセラーになった》

 忙しい大鷹さんは本を書く時間がない。そこで、『満州、少国民の戦記』(昭和59年)などを書いていた私が「聞き書き」をすることになったのです。本人である大鷹さんが「主観」、私が「客観」という役割。単なるゴーストライターはイヤだ、「昭和史の満州(現中国東北部)」を書きたいと思っていましたから、週に1度は大鷹さんに会って話を聞くとともに、仕事(時事通信記者)の合間を縫って何度も現地(中国各地)へ足を運んで証言と資料を集めた。取材に1年、執筆には1、2年かかったでしょうか。

 《李香蘭は、日本人なのに中国人スターに仕立てられ、終戦後は「(国を裏切った)漢奸(かんかん)」容疑で上海で軍事裁判にかけられてしまう。すんでのところで日本人であることが証明され、何とか国外追放処分で済んだ》

 彼女のライフ・ストーリーだけじゃなくて「歴史」が面白いと感じました。中国人のふりをしながら、北京の女学校で、日本軍反対のデモをやったり、満州の撫順(ぶじゅん)にいたときは、平頂山(へいちょうざん)事件や、そのきっかけになった楊柏堡(ヤンパイプ)事件(昭和7年、匪賊(ひぞく)による撫順炭鉱への襲撃事件と、それを日本軍が撃退・反撃し、多くの死傷者を出した事件)を目の当たりにしたりしている。当時の日中関係と「パラレル(並行)」なんですね。彼女自身は、「軍部に利用された」という思いが強かったと思います。国立のフィルムセンターで、一緒に、かつての「李香蘭」主演映画を見たことがありました。映画が終わってから彼女はオロオロと泣いている。「私はあんな映画に出ていたのね」って。「結果的に戦争に協力することになってしまった、中国人に申し訳ない」。おそらく悔し涙だったのでしょう。中国人少女のふりをしたのも、映画に出たり、歌をうたったりしたのも、周りの大人たちの思惑だったのですから。

 《『李香蘭』はその後、ドラマ化されたり、劇団四季によって、「ミュージカル 李香蘭」にもなっりした。藤原さんは、その原作者。脚本・演出は、劇団四季の創設者である浅利慶太さんが務めた。ミュージカルは大好評で、今も断続的に上演が続いている》

 ミステリアスでエキゾチックな美女。そして、聡明(そうめい)。亡くなる数年前には体調を崩されましたが、それまでは、毎年のようにお目にかかっていました。「昭和史の貴重な証人」の一人でしたね。(聞き手 喜多由浩)

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