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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(7)湊川前夜…今も心揺さぶる「桜井の別れ」

米軍が作製した伝単「楠正成の遺訓」
米軍が作製した伝単「楠正成の遺訓」
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 後醍醐(ごだいご)天皇に反逆した足利尊氏(あしかが・たかうじ)との和睦案も、京で市街戦を戦う作戦も天皇の側近らに退けられた楠木正成(くすのき・まさしげ)は「討死(うちじに)せよとの勅定(ちょくじょう)(天皇の命令)ごさんなれ」との言葉を残して兵庫・湊川(みなとがわ)(現神戸市)に出陣した。ただし、後事を託すことも忘れなかった。途中の桜井の宿(現大阪府島本町)で、長男・正行(まさつら)に少なからぬ手勢を付けて領地の河内に帰らせた。「父上のお供を」と懇願する数え11歳の正行に対し、正成は「いつの日か朝敵を滅ぼせ」と諭(さと)す。「青葉茂れる桜井の」で有名な唱歌は、この場面を歌ったものだ。

 尊氏との勝算のない合戦に赴く途中で正成は、正行に次のように教え諭したと『太平記』は記す。建武3(1336)年5月のことである。

 <今生(こんじょう)にて汝(なんじ)が顔を見ん事、これを限りと思ふなり。正成すでに討死すと聞きなば、天下は必ず将軍の代となるべしと心得(こころう)べし。しかりと云(い)へども(中略)多年の忠烈(ちゅうれつ)を失ひて、降参不義の行跡(ふるまい)を致す事あるべからず>

 この世でお前と会うことはもうないだろう。父が討ち死にすれば、天下は尊氏のものとなるだろうが、後醍醐天皇への忠節を失って降参するようなことはするな-。

 正成は涙をぬぐいながら「これを汝が孝行と思ふべし」と締めくくり、正行を領地の河内に帰した。

 『太平記』に楠木父子がそろって登場するのは、この「桜井の別れ」の場面以外にない。そのわずかな記述が時代を超えて人々の心を揺さぶり、語り継がれてきた。

 「楠木父子に寄せる共感は、日本人が共有している感性のようなものではないでしょうか」

 同町立歴史文化資料館の館長を3月まで務めた吉村光子さんは、そう話す。

                   

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